aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

一つ余計には起きられない


 子供の頃からこの時期ってこうだったかしらね、と思うとそうでもなかったような、そうだったような。でも十五年くらい前にいとこのお姉さんから「今って秋休みってあるのよー」と聞いて(あくまで当時の話で今もあるのかは不明)「いいなあ! うらやましいなあ!」と思った記憶があるので子供の頃もこの時期はキツかったかも。むしろ恵みの秋を感じられるようになった頃からそれが励みになったところもある。結局は「秋の実りに感謝します」なのか。いまいち面白みに欠ける季節に生まれてしまったので秋生まれのかたがうらやましいのである。



*捕食って難しい

 ほんの少し前にホンビノス貝を丁寧にモヤ抜きして塩水抜きして塩ゆでで食べたけれども相変わらずの美味しさでした。
 少しナンだな、と思うのは塩味が強いので海水と同じ濃度(500mlの水に対し塩大さじ1)だと味が濃くなってしまう上に茹で汁もしょっぱくてほかに使えないところ。次に食べる機会があったらモヤ抜きと塩水抜きは同じくらいで茹でるお湯の塩分濃度を操作したい。
 貝類好きね、と思われそうだけど元々は大嫌いでした。砂がね、必ず当たるんです。
 あるとき母に「ちゃんと砂を抜いてね」とお願いしたら「そんなことを言うならサチやってよ」と言われたのがきっかけだったかな。
 わんこがいたかいないか忘れてしまったけど二度目にやったときは確実にわんこが死去してしまっていてペットロスでした(今もだけど)。そのためアサリを育てることが楽しくなってしまっていました。ながらみという貝が砂抜きにえらい手間と時間がかかるんですけどそのぶん美味しくてそこで完全に開眼してしまいました。
 しじみはまだ砂抜きしたことがないんですけど、そのうちしじみとも一緒に過ごしたいです。食べてしまうのが残念なのと可哀想なのとありがとうございますという感じです。
 貝類なので一緒に過ごしたりできているけど動物のお肉だったら難しいと思う。
 そう思うと荒川弘先生の銀の匙の初期ってわりとキツイ漫画だったな。だから中盤から馬術部方向にシフトしたのだろうね。初期の物語からも学ぶものは多かったと思うのだけども。馬術部のお話も面白かったです。



*お米は美味しい(お米は美味しい)

 一昔10年として二昔くらい前まではこの時期、野焼きみたいな匂いがよくしていたけれどいつからかしなくなった。野焼きも消防署に連絡入れないとできないみたいだし保育園幼稚園小学校とかも焼き芋大会をするときは消防署に連絡を入れないといけないっぽい。
 便利で不便な世の中だね。安全のためには仕方ないけどね。

 夏のあいだからずっと田んぼの写真を撮っていて青々しい草から黄金色になるところまでは撮れていたのだけど、調子を崩して田んぼのほうまで歩けなくなり、恐らくもう刈り取られている頃合い。
 刈り取られていたらその日に写真を撮りたかった。なんというか無念だ。
 悲しい気持ちで秋の実りを感じている。
 生き方が悲しみの方向に寄っている。上手い感じに転べないけど七転び七起きができたら、くらいの精神でいきます。