あと10ヶ月ほど先ですけど。もうすぐ十六才(サウンド・オブ・ミュージックの曲のタイトル)の軽やかさに比べると文字の衝撃が重すぎる。十六才には出せない重圧感がある。
年齢の文字面的重厚感を得るのはあと19年先に思える。
*タスク脳その1
40年近く生きてきて最近実感したんですが、私はものを磨くのが好きらしい。
皿洗いも好きだし、車を拭き上げるのも好きだしお風呂の浴槽を洗うのも好き。
成果があまり見えない作業(特に洗濯物を干す。ネットに入れるものを選別して洗濯機をセットしたり畳むのはわりと好き)は苦手ぽい。
ゲームのプレイスタイルもそんな箇所があって、ミッション形式のゲームイベントはわりと好きなんですよ。
姉はボックスイベントとか走ったら走った分もらえる系が好きで。確かにそちらのほうがコスパは良いと思うんですが私はやりたいこと分散型なので報酬そこそこでも知らんあいだにタスク終わってた、で満足してしまうんですよね。
やりこみ要素はかちっと嵌らないと全然できないです。嵌ると寝食を忘れてやってしまいますけど。
*タスク脳その2
私の好きなことの大抵がそうなんですけど、タスクをこなす脳と感情の脳に分かれていて、タスクは淡々とこなしていけるのですが、感情が過去のつらかったことを延々と思い出し続けて怨嗟がひどいことになるため各タスクは短めのほうが長生きする…と思うんですよね。
このシステム昔からなんですけど(たぶん胆石の遠因の一つ)、ほかにもそういう方いないだろうか。
作業は淡々としていればいるほどこのシステムになりがちです。
皿洗いにしてもなんにしても一旦どこかでタスクを切り上げる動作があるので好きなのかもしれない。
料理も好きだけど怨嗟を溜めたほうが美味しいものが作れるのでトータルでは体に……どうなんだろう。
負のパワー強め人間です。こういう病気だからそういう性質になったのかこういう性質だからそういう病気になったのかは今となっては分からないです。卵が先か、というやつね。
分かっているのは負のパワー強すぎなので身体的な病には罹りやすいし、血液型的にも免疫弱めなので気をつけようね、とはなっている。血液型は性格関係なく。
最近は怨嗟を溜める系の作業をしていないので体内環境がすこぶる良いです。しかしながら私自身が評価されやすいのは怨嗟を溜める系の作業をした結果だったりするので体には悪いことが多く、どちらが自分にとって良いのか分からないことになっている。