aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

テレビゲームについて思い出したこと


 ゲームハードの話もソフトの話もしています。
 親に認めてもらったという物的根拠があるのはなんか嬉しかった。



*BSSこぼれテレビゲームのおはなし

 母がとにかく機械嫌いでゲームソフトを買ってくれなかったし、勉強とゲームを結びつける教育方針でもなかったため成績が良いとなにかソフトを買ってもらえるとかそういうのもなかった。
 ですが、テストで良い点を取って買ってもらったマリオの六つの金貨とカービィは灰になるまでやり込みましたし、病気が判明後弱っていたときに母が買ってくれたヴィオラートのアトリエも灰になるまでやり込みました。

 うちみたいにゲームはダメというご家庭もあると思います(今は少ないかも)。
 一人の思い出のひとひらになってしまいますが子供の頃はなかなか自分の手柄が視覚化できないものだったりするので、ゲームソフトだったりそうでなくてもその子が欲する一人の子供では買えない値段のものを手柄として与えてもらうことは親に評価されたという自信には繋がると思います。
 私は少なからずそうでした。
 抑圧しすぎても大人になったとき暴発するので適度にガス抜き程度な感じで与えてあげると良いのかもしれません。
 うちはクリスマスにサンタさん経由でもらったものも含めるとプレゼントでもらったスーファミのソフトはマリオカート、ミッキーのマジカルアドベンチャー、FINAL FANTASY V(これがその後の人生を変えました)、姉の誕生日に聖剣伝説2、くらいだったかな。あとは中古で買ったりプレイしないソフトは売ったりして資金にしていたような。それらも含めるともう少しありますけど。
 スーパーファミコンのソフトはほぼ99%フルプライスじゃないですか。なので所持していたソフトは一般的な家庭よりたぶん少なくて、スーファミはとにかく少数精鋭のソフトをやり込んでいたけど「物凄く遊んだな」という記憶が薄く(プレイステーションを買うまで姉がほぼ独占していたというのもあったかも)、「ああ、遊んだなぁ」というゲームハードは自分で最初に買ったハードのプレイステーション2なんですよね。

 前にも書いたことがあるのですが、FFIXにとても感動して自分でプレイステーションを買ってやるぞ! と息巻いて働き始めてお小遣いをためて。その当時モニタ付きのプレイステーションの少し安いモデルが出ていたんですけど、ネットで「プレイステーション2でリリーのアトリエというのが出るらしいぞ」と知って、これが運命の出会いパート2で「絶対にプレイステーション2を買う」と決意して近所のゲームショップで一番ファンの音がうるさいモデルのプレイステーション2を、そうとは知らずに買いました。
 でも気恥ずかしくて(あと怖くて)母以外の家族には言えず、6インチの父の小さいテレビで深夜とかにプレイしていたんですが、とにかくファンの音がうるさいので部屋の外にも漏れてしまって、ある時姉にバレて少し「なんで今まで言わなかったの」的なことを言われたりなんだりがあったんですが、PS2はずっとプレイしていましたし、今でも好きなゲーム機です。PSPとPS Vitaにもお世話になりました(現在進行形かも)。
 DSも遊んだソフトは少なくて(ときメモGSシリーズと逆転裁判シリーズ、ブレイブリーデフォルトくらい)、互換性のある3DSでもう少し増えたかなというくらい。
 PS2以降でピタッと嵌ったハードはSwitchだったなと思います。PS4やPS5などでもそうだと思うのですが今はインディーゲームが多くて安価であったりプレイ時間が短くても遊べたり、短いからこそ何度も遊べるという強みもありますね。
 それを逆手に取ったソフトがグノーシアだったな、と思いました。名ゲームソフトです。


 次回はBSS案件その2になると思います。