aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

デジタルネイティブ世代じゃなくても使えるようになるよ


 個人差はあるかもしれないけど。
 タブレットはパソコンを使いやすく(ユーザフレンドリーに)したものなのではないかというのが持論なのでそれほど怖がる必要はないと考えています。
 機械がきらいな人は機械が怖いのかな、と母を見ていてずっと思っていました。
 その母の怖い気持ちを少しでも融解させられていたら嬉しいです。
 コツは怒らない・ゆっくり・地道に、です。これがなかなか難しい。



*BSS案件その2

 僕(B)が先(S)に好き(S)だったのに案件その2です。少し変わり種。
 タブレット端末を我が家でいち早く取り入れたのは私でした。
 携帯のスマホは姉が持っていたのですがさほど楽しそうにしている感じもなかったので携帯をスマホにすることがあまり魅力的だと思えず、それだったら画面大きめのタブレット端末のほうがよかろうと当時型落ちモデルを購入しました。
 それから年月が経ち、端末が古くなってきたので「買い換えよう」となったのですが古いほうの端末はどうしよう、と考えたときに「母に使ってもらいたい」となったのです。
 機械嫌いで黒物家電は一切使いたがらない(怖いとすら思っている)母が使えたらどんなにか素晴らしいだろう、と。そして自分の教えられることはすべて(できるだけ怒らずに)教えよう、と決めました。
 一瞬迷って「お母さんにあげるってことにしてお母さんからお父さんにあげてもいいよ」という話もしました(当時父は存命)。ですが母が覚悟を決めた顔で「いや、これはお母さんが使う」と言って、そこから母のタブレット人生がスタートしたのでした。
 最初の1年はほぼ使いませんでした。写真も撮れないし検索もさほどしない。どうやるの、どうやるのってずっと訊かれていた気がします。あとブルーレイレコーダも父に任せきりで全く使えなかったです。たぶん自分で使うという選択肢がなかった。
 それが劇的に変わったのは皮肉なことに、というか父が死去したあとで、やってくれる人がいなくなってしまったことでした。
 私も時間がないときはやってあげていたのですが、母が機械を怖がらないようになるべく自分でやらせてポップアップウィンドウが出たときは「この文章が出たらどうしたらいいと思う? 読んでみて」と自分で考えて動かせるように持っていきました。
 今年で父が死去して5年が経ちましたが、母、ほぼ能動的にタブレットを使っています。とにかくコピー魔だった母がタブレットで最初に憶えた機能はスクリーンショットでした。スクショした上でそれを紙に書き写すという勤勉ぶり。
 少しずつ検索することも覚えていって、朝ドラのスカーレットのネタバレを見てしまって意気消沈したり、ブルーレイレコーダで予約もディスクに録画することもできるようになりました。あの黒物家電を一切触れなかった母が!! 晩年の父よりタブレット端末を使えているかもしれない(その父のタブレットも母が継いで使っているので二台持ちである)。

 それとか、本のページをコピーしたファイルがたくさんあったのですが一部を除いて大幅に処分したのも今年ですね。
 それらの膨大なファイルは私と姉のあいだで「カカペディア」と呼ばれていたんですけど、「どうして処分するの?」と訊いたら「だって、タブレットとかでさ、調べたらすぐ出てくるじゃん。こんなに紙がたくさんなくてもいいかなって」というまでの意識改革が起こるほどに。
 私個人の感覚では紙からの情報もある程度は必要だと思うけど、ペディアがついてしまうほどの膨大な量だったのでこの方向転換はすごいなと思いました。
 たぶん5年前の家族に言っても信じない。
 それだけ母もタブレットを使い込んでいて、今でも怖がりなところもあるけど「育てるってこういうことなのかー」と、ちょっと嬉しいBSS案件でした。

*余談

 今ではFire TV StickでTVerなども能動的に観ています。Echo Show 5でラジオやSpotifyなども聴いています。
 人間ここまで変わるものかーというお話はしたかもしれないし、またするかもしれない。

 BSS案件は3でひとまずおしまいです。いつ更新するか決めていないけど近いうちです。