aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

sakuraのファンなので敬称に迷った


 子供の頃からsakuraと呼び捨てにしていただけに。今更sakuraさんと呼ぶと別の人みたいな感じがして結果一番違和感しかない呼び方になりました。
 今後はsakuraさんと書きます。慣れよう。hydeはhydeさんと呼べるのだけど世間でたまに見かけるhydeくんという呼び方は慣れないです。解釈違いかな。
 全くの余談ですがzi:killも好きです。



*関係あるような……!? ないような……!?

 backnumberって私が雑誌で名前を見かけた頃と全然違うなぁ、と数年前から思っている。私が名前をちらりちらりと見た頃はサブカル寄りだったけれど若者の心をがっちり掴み、朝ドラの主題歌も獲得してすっかりメインカルチャーだな、と時の流れの恐ろしさと、いつなにがメインカルチャーになるかって分からないものだなぁと思ったりしていた。
 そういえばそれで言うとラルクがそんな感じだった。私と姉がラルクに嵌ったのはD.N.A2─どこかでなくしたあいつのアイツ─という桂正和先生作の漫画が原作のアニメ作品。それのオープニングテーマを飾っていたのがラルクだった。エンディングテーマはシャ乱Qのシングルベッドだった。
 ラルクというのはおそらく初めて好きになったロックバンドで、エンディングテーマのシャ乱Qのシングルベッドはヒットして様々な歌番組で観るのにラルクを見かけるということもなく、一年かそのくらい経ってVivid Colorsというシングルを出したときにミュージックステーションに出たのが初めてテレビで観たラルクだった。
 いや、最初に観たのは当時加入していたWOWOWのライブ映像だったかも。25年以上前のことなので記憶が混濁していたらすみません。
 小学校6年生くらいの頃にTBSラジオの番組が始まって、櫻澤氏の件でラジオ番組はなくなり、それでも姉と二人でネットもあまり普及していない時代、周りに仲間もいないままラルクのファンをやっていた。
 活動再開する、というときも嬉しさと複雑な気持ちで迎えた。もっと複雑になったのは虹でラルクが世間的に大ヒットしたことだった。
 デビュー当時から応援していたとかそういうわけではないけれど少なくともTierraくらいからのファンだったので周りの誰も知らなかったのに世間中の人がラルクを知っていて「このバンドいいんだよねぇ」とか言われるのは困惑以外の何者でもなかった。
 それから私はB-Tだったりブンブンだったりに出会って、今もラルクは好きなのだけどラルクの活動休止前と活動再開後に感じた温度差に今もついていけていない。もう20年以上も経つのにね。

 余計なお世話ながらbacknumberのファンの人もそんな思いを抱いてはいないだろうかという思いがよぎったりよぎらなかったりしている。