aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

いもな妹が寿命の話をする回

オバタリアンという言葉が流行った世で、いっとき「イモタリアン」って言われていました。イモタリアンってなんなんだよ……ちょっと美味しそうじゃないか。より美味しそうな響きだと「イモタリアーニ」とか。原形どこいった。

*生まれながらのいもにして

姉はハッシュドポテトが好きです。姉の言う芋イコールハッシュドポテト、父の言う芋イコール芋焼酎、母の言う芋イコール焼き芋、そしてきっとなにものにもなれないいも(妹)もここにいることを忘れないで……。私はどの芋も好きなんだけど偏愛というほどにはどの芋に対する愛も薄いんですよねえ。私の好きな芋ってなんなのだろう。

*私を常世へ連れてって

リビングに敷き詰めてあったクッション材のマットを取り払いました。全てわんこの足の負担を軽減するために用意したものでした。取り払う三日くらい前に私はリビングで「わんこの雰囲気を感じる……」と思っていて、姉も偶然そう思っていたそうです。新盆だから戻ってきたんかしらね。新盆とは言っても亡くなってまだ一年も経っていないんですよ。もう十年くらい会っていない気がしています。父のときも書いたけど! 顔を突き合わせる頻度が多い存在ほどそういう感覚が強いのかもしれません。 そのクッション材を、形見分けというものではありませんが、一部自分の部屋にもらってきました。嬉しいような、寂しいようなゆらゆらとした感情です。 わんこがいつも寝ていたところのマットは私の椅子のとなりに置きました。実際にリビングのちゃぶ台に向かう私のとなりにはいつもわんこに鎮座していたので、なんとも書きようのない気持ちになりました。 いつもどこか寂しくて「いつでも戻っておいで」と言いたくなっています。 父の今際の際も細くなった手をずっと握っていて、わんこの今際の際にもわんこの前足を軽く握っていたんですよね……。私はずっと身近な存在の最期の手を握って終わる人生なのだろうかねえ。だとすると死に際の私の手をにぎっていてくれる人というのはこの世に存在するんでしょうかね。 しんみりしみしみ。

*それでも10年とか保ってくれているのでありがたい

9インチのタブレットがふとした瞬間に充電が途切れたり勝手に再起動したりするので寿命なんかしらねえ。だいぶ使い倒してきたので元はとったと思うけどもう何年か元気でいてほしい。新しいタブレットは大きくて持ち歩けない。 それを言うとiPodClassicは2011年から使っているためバッテリが劣化しまくりで後継機も出ていないのでだましだましなんですよね。音量なんかはもう調整できなくて一定の音量しか出ないし。 子供の頃は機械にも寿命があるなんて思ってもみなかったです。今は機械にも寿命があるのが普通の世界ですよね。なんか妙な感じです。 こぼれ話:福袋がもう楽しみになっていたりします そういえば昨日のライヴの衣装で昭乃さん、リリオ・ダグアのポシェット(携帯ケースだったと思う)をイヤモニかなにか入れて身に着けていらっしゃいましたね。私も福袋に入っていてそれ以来気に入っているものだったので嬉しかったです。内布のチェックの生地がカワイイのです。 なぜその話を思い出したかというとiPodClassicを入れるのに丁度よいサイズのポシェットだったからでした。 ※)上二つの小題は7月24日に書いたもので、下一つ半は本日書いたものです。誤差程度にテンションが少し違っています。