aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

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 勢いだけで書いたよな、という。謎の勢い。 *繰り言のような独り言  物議を醸し出す問題だと思うのであとで消すかもしれないけど少し前? にドラハラ(ドラゴンボールハラスメント)なる言葉が炎上したみたいですね。  私個人としては「なんでもかんでもハラスメントをつければ良いというものでもないのでは」と思いましたが、ドラゴンボールかー。私個人がドラゴンボールに嵌ったのは19歳から20歳前後の頃だったんですよね。アニメは見ていましたけど原作を読んだのは20歳の頃でした。  でもドラハラの記事を書いた人にコメントしている方の文を引用するなら私は子どもの頃姉の友達にドラゴンボール好きの人がいたし、自分でもドラゴンボールZになってからは積極的にアニメを見始めたり、ドラゴンボールだけじゃなくてキャッツアイやシティーハンターのアニメを好きで見ていて中学時代に漫画も集めたりして、幽白もるろ剣も好きだし、そののちジョジョに嵌るしジャンプ黄金期の恩恵を全く受けていないわけではなかったんですよね。年が少し上のいとこはキャプテン翼や聖闘士星矢、シティーハンターはもちろん私の知る限りるろ剣の辺りまではジャンプ愛読者でした。ただそのいとこはFFが物凄く好きだったのでドラゴンボールやドラゴンクエストに興味があったのかはわかりません。ただドラクエはプレイしていなかったようで、ドラクエVをプレイしたことを姉と話していたら浮気者と謗られました(もちろんギャグで)。  話がすり替わってしまいました。私は子どもの頃はドラゴンボールを読んでいませんでしたがドラゴンボールに嵌る土壌はできていたんですね(世代的にも)。逆説的にシティーハンターもキャッツアイも幽白も読まず、ジャンプの恩恵を受けずに育った自分を想像してみよう(影響を受けすぎて「ありえない」と思ってしまうけど)。  そう思うと「もしかするとドラゴンボールもシティーハンターも幽白もそんなに魅力的に感じなかったのかも……?」と少しだけ思えました。時代もありますよね。昭和後期から平成にかけての。  純文学は普遍的なものを感じるんですが大衆小説や漫画やアニメは時代を感じることが多くて、その当時に流行っていたものとか当時では実現できなかったことが漫画のなかではできていたり。でも時が流れて今見ると「ああこんなの流行ったな」とか「このときはこういう技術がなかったんだな」とか如実に現れるような。  違いを楽しむのも漫画アニメの醍醐味だと思いますが連載当時の流れを知っていないと全部古臭く感じてしまうのかなーと思ったりしなくもないです。  ほかにもいろいろ補足しましたが全部消したあとに思ったのは、これはシンプルに好みだと思います。何年経っても自分が生まれる何十年前昔のものでも好きなものは好きだし、逆に興味もないのに「これ読んで。これ聞いて」とお勧めしていただいても興味がなかったら単なる強要だし(でもハラスメント=嫌がらせだとは思わない)。  私は周りにお勧めするのが好きな人が多いし私自身お勧めするのが好きだし、自分もお勧めしてもらったら読んだり聞いたりして感想を言い合ったり、逆にお勧めして感想を聞いたりするので上手く回っているのだと思いますが上の立場の方から興味のないものを強要されて、頭にくるのは分かりますが作品に対して「言うほど面白くない」というのは「それは勧めてくださった上司の方にお伝えしてはどうですか」と思いますねー。炎上商法なんでしょうけども。  つまらないことを書いてしまってすみません。  ちなみに幼少期の折、うる星やつらとらんま1/2、タッチなども見たり読んだりしていました。子どもの頃に触れた作家さんの作品は大人になってもその世界にすんなり入っていけるのが不思議です。