朝からお暗い話を書いてしもうた。すみません。
*父がのこした写真の道具の第二の生き方
父がのこした写真の道具は「こりゃどうしたらいいの」というものが多くてしばらくは放りっぱなしだったけれども、物撮りの背景に使われた大きな色紙は私の絵の台紙になったり、母の作る服の型紙になったりしている。
どう考えても「使いみちがない!」と思われた大きな銀レフはマイナンバーカードの写真を撮るときにも活躍したし、寒い今冬は隙間風から家族を守ってくれている。
父が生きていたら銀レフを隙間風ガードくらいには使ってくれたと思うけど、大量の色紙を切ったりしたらいやがっただろうな。
思いもしない第二の生き方をしている。
*たばこを吸わなくなって6年経つ
もう吸わないしたばこもうんと高くなったのでそういう余裕もない。それにたばこより食べ物のほうが断然美味しい。やめてからは味覚や嗅覚が利くようになった。
たばこをやめたばかりのときは人がたばこを吸っているのを見かけると「私は我慢しているのに」と勝手に恨めしく思ったけど今はそんなふうに思っていたことすら忘れていた。
なんでそんなことを思い出したんだっけ、と思ったら最近みた映画で喫煙シーンが多かったからだった。
6年前に死去した父の骨格や肉の付き方は手が憶えているけれど、6年前まで一日11本くらい吸っていたたばこの味はもう憶えていない。情のないやつだ。でもそれで良い気がする。