aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

味の記憶


 書きたいことを次から次に忘れてしまっていやねぇと思う。
 エルダーフラワーに対する思いは一区切りつきました。あと5年くらいは思い出さないんじゃないかな(てきとう)。
 なにが言いたいのかよく分からなくなっている今日のブログ、そのうち整理つけますので読み流してください。すみません。



*面倒くさいのはファン心理というより自分の心理です

 ディアボロ・ジンジャーの頃から長いこと世界のキッチンからのファンをしていてエルダーフラワーと無糖炭酸水の頃がマックスだったような気がする。そういえばエルダーフラワーで無糖炭酸水が好きになったな、と思い出しました。
 今の世界のキッチンからは常時ソルティライチが売っているくらい(冬にも時々ショウガのなにかは見かける気がする)なのが残念でならないです。
 ファンって楽しいけど面倒くさいですね。



*感覚も煩雑

 子供の頃の思い出で、アイシングクッキーにものすごく憧れた時期がありました。あんなに細かい色で味もきっと分かれているんだあ……!! とたいへん夢見心地だったのです。
 食べられるインクで印刷してあるアイシングクッキーを含めて味は分かれていないですね。そんなだったら味だって煩雑になってしまう。完全に子供の頃の私の思い込みです。でも幼少期のショックたるや半端なく、以来アイシングクッキーと聞くと無条件で少しさびしくなってしまうのです。
 アイシングクッキーは悪くないし美味しいですよ。
 でもたぶんそういうのとは別のところがさびしいと思っているんですよね。食べると美味しいと思うもの。見かけるとときめいてアイシングの表記に「あ、そうだよね」となる。
 なんなんでしょうね、この「さびしい」。私は今でも年甲斐なくアイシングに味の煩雑さを期待しているのでしょうか。それとも記憶が反応しているだけとか。
 どこから出てきてなにがさびしがっているのだろう。