aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

にぶいのはつみなのか


 私は自分の状態や感情にその時々に対応できなくていつも後になって気がつくタイプなんですがそれもいわゆる感情鈍麻というやつなんだろうなあ。といま気がついたけどそれも30年近く経ってやっとかよという感じだし、今も全然自分の感情に追いついていない。
 パソコンというやつは分からないときは応答を拒否するし、熱いと動きがのろのろし始めて終いには勝手にシャットダウンする。パソコンのほうがよほど正直で素直だ、と感心する。



*かっくら

 最近自覚症状が出るほど本を読みすぎていて「あのくだりが出てきたのはなんの本だっけ」という状態が頻発しています。読んだら思い出すんだ……。
 暑くてナーバスになりがちなんですけどそんななかでのダンジョン飯のアニメ化はめでたく明るいニュースです。アニメ化してほしい漫画NO.1でしたよ。原作がそろそろ終わりそうだけどだからなのかな。
 素敵な飯テロアニメになってほしい。1巻の辺りで好きというか「どういう味なんだろう!?」と思ったのは宝虫でした。サクサクなの? しょっぱいの? 甘いの? と今でも気になる。九井諒子先生の漫画はどれも面白いです。既に名作と名高いですがひきだしにテラリウムも素敵な短編集です。



*こばやしいちみ

 今月読んだ本の感想(来月1日に更新予定)と被ってしまうかもしれないけど「ドリフターズとその時代/笹山敬輔」を読みました。群像劇っぽく、かなり読み応えがありました。
 私の最古の記憶のいかりや長介という人ではなくて単語での記憶はじゃんけんのときに言う「イカリヤチョースケあたまはパー」という今思い出してもかなりひどい文句です。誰がいつから言い出したんだろう(※1)。「イカリヤチョースケ」という人が存在するかしないかも全く知らなくて、その言葉だけが最初でした。
 ドリフターズという人たちを認識したのは1999年の紅白だったかもしれない。加藤茶さんと志村けんさんを初めて観たのは「加トちゃんケンちゃんのごきげんテレビ」でした。
 そのイメージが強すぎてドリフターズというグループ(バンド)があった、しかも日本で絶大な人気があった、と知るのは本当に1999年の紅白だとしか。もしかするとお笑い好きの父が録画していたのを観た可能性が無きにしもあらずだけど放映時代がかなり前なので家庭用にはまだ8mmしか出回っていない頃かもしれない。
 志村けんさんは今も昔もコメディアン・芸人さんというイメージが強いですが、ドリフターズの原点にして基礎はコミックバンドなんですね。
 この本を書いた方、もしかして私と近い年代なのでは……と思ったら1979年生まれだそうで5歳しか違わなかった。参考文献リストもさることながらエノケン、ロッパからコント55号やドリフターズに詳しすぎて「見てきたのでは?」と思ってしまう筆力がすごかった。
 ちなみに私は小林一三が読めなくて読み方を調べましたよ。曾我廼家も読めなかった(ばーかばーか)。
 もう少し踏み込んだお話は来月の1日頃にアップします。

※1) 「8時だョ全員集合」にて志村けんさんが言い出したのだそうです。なんとなく安心(?)しました。



*歯が痛いと集中力が下がるよね

 歯の食いしばりがひどすぎて歯と顎が物凄く痛くなり、マウスピースなんてないしな……ということで一時間くらいタオルを喰んでいたら少し良くなりました。痛すぎてどうしようかと思うほどだった。ここ最近で一番の痛み。
 食いしばりに一番良いのはボトックス注射らしいけど庶民(庶民より下々かも)には難しいし異物を入れるのは少し怖い。けど食いしばりが少しでも楽になるなら試してみたいなあ。