aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

一つの記事のなかに矛盾点があるのだが



 人情として探さないでくれると嬉しいです。いや、私も書いていて矛盾を感じてソワソワしたので読んでいて気になるのは分かる。
 あくまでも人情でね(許せるようになったのに末代までかあ)。


*おばさん

 若い頃はなんでもかんでも一言一句に引っかかってあらゆることが許せないでいたけど、最近いろいろなことが受け入れられるようになって、結果楽になった。
 許せるようになったのは私がおばさんになったことが大きい。子どもの頃、訳もなくおばさんが面白い存在だった時期があった。その面白い存在に自分がなっている。嬉しくて少し誇らしい。おばさんという存在になることができて、毎日の自分が面白い。
 悲しいのはおばさんになる前に言われた・されたことが今も許せないことです。これはもう一生抱えて生きていくか、あるときに全て放り出せたらなあ。
 でも私は一生抱えていくタイプな気がする。


*最近の我が家での流行りはのり塩です

 最近の私内通貨がうまい棒です。うまい棒をいただくのではなくて受け取っていただく側です。 よく見かける「よーし、この分はジュース1本な」のジュース1本がうまい棒1本になっている感じ。自分でも分かっているんだ、安すぎ、子供の駄賃かよと言ってくれるな。
 閑話休題。それでいうと私は現在母にうまい棒4本の借りがあるのだけれどジュース1本おごりな、と漫画やアニメのキャラクターが言っているのを観たことはあるけれど実際におごっているところはあまり見かけない……つまりそういうことです(ちゃんとおごります)。


*こんにちは、移ろいやすい物質です

 とても絡まりやすく、布になりそうにない経糸をひーこら言って張ったけれど、あまりに絡まりやすく、トントンカラリできないためすべて本日ほどいた。頭にくるくらい本当に絡まりやすかったのだ。これは末代までうらんでやるからな、とさえ思った。
 しかし丸めているあいだに「この毛糸、チャコールグレーの経糸を張って横糸にしたらきれいになりそう」「こっちの糸もよく見ると素敵じゃない」と完全に視点が変わってしまって末代までうらみたい気持ちはどこかへ霧散していた。
 妖怪と人間のラブストーリーなどにある「人間は移ろいやすいから一緒になれない……」と言われる筆頭に自分がいる気がしたし、食料としてどんぐりを地面に埋めて、埋めた場所を忘れるリスのマインドが同じ哺乳類として刻まれている気がしました。