aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

姉妹の沈黙の掟は



 それはそれとして今も人とシェアしたい病には罹りっぱなしだし、おばさんブーストも加わってひどいことになっている。


*鉄の掟

 少し前にも触れたけれど人とシェアしたい病に幼い頃から罹患している私にとって恐ろしいのは同担拒否という言葉だった。
 そして世に生まれ出て一番最初に同担拒否をされた相手が姉だった。いわく「私の好きなものを好きにならないで」。
 なにをしていなくても好きなものが似るのが兄弟で、好きな部分が微妙に違うのも人それぞれというもの。
 子供の頃の姉は好きな部分はきっちり同じでないと共感してもらえず、似ているだけだと嫌がられた。それゆえに私は好きなものを隠すようになった。そして嵌ったらなにも言わずにすべて揃えてから好きだということにした。でないとややこしくけんかをするのだった。

 これも前にも書いたけれど姉がジョジョのなかで一番好きなのは五部で、同担拒否のためつい最近まで(ジョジョがアニメ化してしばらくするまで)好きだから読まないでほしかったらしくて、私はジョジョに触れない子供時代を送ってきた。
 アニメ化されたときも一部と二部は観たらいけない雰囲気があり、三部を途中から観る形で四部までどっぷりジョジョの世界に嵌った。
 その後、姉のすすめで一部と二部を観せてもらったが五部はやはり私のなかで触れていけない領域に近く、本を借りても未だにどっぷり浸ることはおろか、どこかで触れられないでいる。

 アニメというもの全般にも同じものが言えて、十代の途中からアニメが観られなくなった。十代半ば以降に働き始めたりそのあと病気になったりみたいなフィジカルな理由もあったけれど、アニメを観ていると姉と推しがかぶってしまうのだ。
 星方武侠アウトロースターと犬夜叉を観た頃を最後にアニメから離れ、久しぶりに観たアニメはKURAU-Phantom Memory-だった。
 そして時が流れておばさんを名乗っても恥ずかしくない年になった頃、唐突に開眼した。
 なにに、というとEテレだった。最初はグレーテルのかまど、びじゅチューン辺りから始まり、シャキーン!、ピタゴラスイッチ、デザインあ(残念です)、ノージーのひらめき工房、ムジカ・ピッコリーノ、ざんねんないきもの事典、舞妓さんちのまかないさん、0655、2355、趣味どきっ、まる得マガジン、きょうの料理、きょうの料理ビギナーズ、100分de名著、あてなよる、母に勧めるうちに美の壺にも嵌った。今は観なくなってしまったけれど一時えいごであそぼやさんすう犬ワンも観ていた。
 Eテレ、むかし教育テレビだったリアル子供の頃は子供をこじらせていたので観たいけれど恥ずかしくて観られない局だった。その局に開眼して、ずぼっと嵌ってしまった。

 テレビを長時間観るのにあまり慣れていないお子さん向けに5分や10分、長くても25分くらいで終わる番組が多い。集中力が短い私にも優しい。そしてあまり姉と趣味がかぶらず、なおかつほどよく興味がある分野なのでほどよく会話が弾む。

 今の姉は昔ほど同担拒否ではないけれど子供の頃に作られた掟を私はなかなか破ることができず、今も明後日の方向に歩を進めている。明後日を向いているのに気がついているのに無駄に歳を重ねてしまって軌道修正が利かないのだ。
 私の生き方を省みると厄介な子供は厄介な大人になるという見本市のような存在な気がする。
 そんな生き様を晒しながら本日も生きています。