aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

アンビバレント



「そうではない」と「だからそうなのである」が常に拮抗している。


*文章から普段の生活って滲み出るんですね…

 母方の伯母(以下、妹のほうの伯母(※母の妹ではない)が俳句を嗜んでいて時々同人誌を送ってくれて、その伯母の姉である伯母(以下、姉のほうの伯母)も同地域に住んでいるため時々二人の句が載っている。
 妹のほうの伯母は辣腕家らしくてたまにエッセイのようなものも寄稿していて、読み物好きの私はそれも目当てで読んでいる。
 今回送ってもらったものには両方の伯母の句と妹のほうの伯母のエッセイが載っていた。
 そのうちの一つのエッセイが物凄かった。隙という隙が見当たらない。無駄な文が一行も一字たりともない。それでいて凛とした気品もある。
 最敬礼の気持ちで母に返したあとでまた読み返したら姉のほうの伯母の句もいくつか載っていた。とても優雅だった。無駄や隙などといったものとは別の、むしろ無駄すら楽しむ余裕のようなものを感じた。
 それを「姉のほうの伯母さんのは貴族の娘っぽい感じ! 妹のほうの伯母さんのは武士の娘っぽい感じなの! 分かる? この感じ!!」と末妹である母に熱弁を奮ったところ首を上下に振って「うん、うん、なんか、なんとなく」という肯定の言葉をもらえたので当たらずといえども遠からずではあったよう。
 そんな勧めていただいた俳句はやってみたいが語彙がなさすぎて半分は断念している。しかしもう半分は国語の勉強になるのではないかという気持ちが常に拮抗していて一向に前に進まないでいる。


*1/3くらい先に常世が見えます

 時々自分を比喩ではなく俯瞰で観ている気分になることがある。1/3くらいの幽体離脱という感覚がしっくりくる。
 普段は自分の声は脳に振動が伝わった音として聴こえるけれど、1/3の幽体離脱のときは外からの声として自分の声が聴こえる。そのときは「姉の声と私の声が似すぎていてシャッフルしたら判らない」とよく言われる理由が分かる。いつもは分からないのだけど客観的に聴くと本当に似ているのだ。
 それと1/3幽体離脱をしているときはよくめまいにも襲われる。単なる感覚なのだけど、見えている位置が離脱している部分と認識しているで違うからではないだろうか。
 私はいわゆる自分だけが世界に馴染んでいないとか自分は存在しない生き物ではないかというような錯覚や妄想に襲われるのだけど、1/3幽体離脱まで出てきてしまってますます自分が存在しない感が強くなるのと同時に、存在するからそういう感覚になるのだという感覚にも悩まされている。
 いずれにせよどうしようもない悩みだ。


*コーンスナックに助けられている部分がなくもない

 家族揃ってうまい棒に嵌っている。というか単純にコーンスナックって美味しくないですか?
 うまい棒は確か原価7円と聞いたことあるし、一本で満足感もあってコスパはいいのでは。
 コーンスナックというとスコーンのバーベキュー味が好きなのだけど油分が多いのか食べすぎてしまうためか体調を崩すことが多いのでうまい棒に一縷の望みを託している。
 お徳用チョコ(というチョコレートがかかったコーンスナック)も大好きです。

余談:

 5円チョコも原価が5円とうっすら聞いたことがあり、今回の流れで調べたが単品5円で売られていたのは2007年までで今はパック売りで100円ほどらしく、現在は原価5円では作ることができないとのことだった。世知辛い。

詳細は
ねとらぼ様の記事(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1810/28/news002.html)
をご参照ください。

原価については
ALISで生活する学生様(https://alis.to/kohki/articles/KeOVDNVNrljk)
を参考にさせていただきました。