aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

そういえばの話(2)



*そういえばの話その3

 胆嚢を切ってしまったので胆石があった頃の差し込む痛みというものからは解放されたけれど内臓のなにかは今も弱いらしく、体温が下がったりお腹を冷やすと内臓を食い破られるような痛みにおそわれる。
 痛いという感じではなく、どちらかというと苦しみという言葉がしっくりくる。
 牛肉はほぼ食べられなくなり消化に時間のかかるバターもほぼ摂取できなくなり、今もウシさんからいただいている主な栄養分は牛乳と発酵乳製品くらいだろうか。牛タンも時々いただくが。
 牛肉のアレルギーでもないのに食べていないと「異質なものがある!」とすぐに気がつく。
 ハンバーガーもエビカツバーガー専属選手になってしまったし、マクドナルドではマックポークが唯一肉類で食べられるハンバーガーだったのになくなってしまった。今マクドナルドで好きなメニューはえびフィレオとポテトとナゲットだ。好きというか頼めるメニューと言ったほうが正しい。シェイクは好きだけどお腹が冷えるためもう何年も飲んでいない。
 そんなになってもファストフードが食べたいのか、と問われると食事の準備が大変なときのファストフード等々というのはなにであっても正義なのです(ファストフード好きです)。


*そういえばの話その4

 幼い頃の私は甘いもの大好き選手で、生クリームも大好きなものの一つだったし、料理が好きになった理由の一つにお菓子を作って好きなだけ食べたいという子どもらしい魂胆もあった。
 ファミレスに行くと私が頼むのはサンデーやパフェが多く、しかも当時もあまり食が太いほうではなく、途中で食べられなくなって泣いたりしていた。父が短気で、食べ切るまで待っているあいだにどんどん苛々していてプレッシャーたるや半端なくて余計にまたべそをかくのだった。
 その私を塩派に持っていったのもまた父だった。ある日、ハンバーグ専門店に家族揃って入った。そこにも甘いケーキのようなものはあったけれど選ぼうとしてもその選択に父は首を縦に振らず、ハンバーグを選ぶまで注文をとってくれなかった。
 既に半べそをかいていたけれどなんとかハンバーグ定食を注文する。
 食べているあいだに塩気が美味しく感じるようになり、それ以来私はレストランなどでちゃんとしたメニューを選べるようになった。

 しかしのちに父と姉と三人で入った和幸(余談だけれど昔ずっと「かずゆき」と読むのだと思っていた)でとんかつ定食を頼み、一番最初に運ばれてきたのに最後まで残って食べていた私は「ちょっと待ってね」、「ちょっと待ってね」と言って食べるのだけどすでに涙目で、最初は「いいよ、いいよ、ゆっくり食べな」と言っていた父の目が段々据わって行き、足を踏み鳴らし始めるのがやはり怖いのだった。


 今回は父を悪く書いてしまったので次回以降に父を挽回できるよう試みます。