aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

今は単なる凹凸ってないよなと思います

自分の性的指向を、家族にはまだ言えるけど親類や友達だと難しいね。けど私の周りの友達ってセクシュアルマイノリティーの友人が多かったかもしれない。

*疑問は疑問のまま

二十代後半までは結婚したいと思っていたというか、父がいたく孫を見たがっていて「親を安心させないとな」という変な結婚願望がありました。そのあと結婚してどうなりたい、子供を生んでどうしたいなどは全く考えもせず。 三十代に入って「親を安心させるための結婚ってなんなんだ。私はどこにいるんだ」という起点に気が付きました。 そこからはあまり結婚したいとも思わず、むしろ自分のジェンダー感がよく分からなくなったりしていて「子供なんてとても自分には無理」にシフトしました。 うちの両親は両方末っ子なので上にしか兄弟がいないのです。昔の順序的に兄弟のほうが先に結婚していて子供もいる、という状態。なのでというわけでもないでしょうが、いとこさんは全員年上です。ケースバイケースもあるけど99%が上です。 そんななのでいとこのみなさんもほぼ結婚して子供もいて、という感じなんですけど、最近ついにお孫さんが生まれたいとこさんもいたりしてめでたいです。それと同時に「みんな生産的に生きているんだなあ」と、なにも生産していない三十代後半の女がここにいるのがなかなかなホラーです。子供は生んだらそれで終わりではないため自分の面倒も自分で見られない私が生んで良いものとも思えず、ジェンダーが行方不明(エイセクシュアルであるという自認はある)なので結婚も無理、といろいろ詰んでいます。母に許可をもらってお墓は家族と一緒に入ることがほぼ決定しているのであとはしにかたかなー。ピンピンコロリが理想ですね。理想はね。一緒のお墓に関しては父には事後承諾(あの世で説明)になってしまうので申し訳なかったな! 生産性がないというと人間的にもGDP的にも全く生産性がないのですが、最近織物工房に通い始めて家でも裂き織りをやっています。今まで我流でやって上手くいかなかったことが教わったようにやると上手くいく! ということに感動しています。 裂き織りは生産……再生産? かなと思ってがんばります。シーツを割いて糸にしましたが、習ったときは「ほつれた糸が邪魔だなー」と思っていたのですけど、先生が「よほど邪魔でない限りほつれた糸も味になるよ」と教えてくださって「本当かな」と思ったけど本当でした。よくわからないけど味がある風になっている。 今日は夕方の薄闇のなか、買い忘れに気がついた母が車は走らせたくないけど買い物に行きたい、しかし一人で歩いて行くのもな……の付き添い兼軽い運動のつもりで一緒に買い物に歩いていきました。 子供を生んで孫の姿を見せるのも徳の高い孝行の一つなのかもしれないですが、私は子供の頃にまともに生きられてなかったためにできなかった手伝い等を今やっとやりながら当面のあいだは母の仕事の半分と物忘れの補助などやって生きようと思います。織物もしつつ。母にもその思いは伝わっているようで「老老介護だね」とよく笑っています。 孫の姿というのはやはり見たかったようで、見せられるものならそうしたかったけど見せるためだけにひょいとその子供が生まれてくるわけでもないし、私自身の人間性にも問題があるので難しくて申し訳なかった。 自分に子供が生まれたら徹底的に甘やかす、と子供のころに言ったことは覚えているけど人生で数回くらいしか言わなかったように記憶しているし、小学生くらいの頃には「自分は恐らく結婚できないのでは」と思い始めていたのである意味子供の頃の直感のままに生きています。それでいいのか?