aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

苦しみが手放せない

苦しいことをたくさん憶えているのでわりと生きるの苦しい。手放したら楽になるのかもしれないけど手放すとそれはそれで自分でなくなりそうでなんとも言えない。メンドクッサー。私はもうこの病いをやめたいよ。

*「こんなよい月を一人で見て寝る」ような月

昨日は中秋の名月で満月で仏滅でした。最後のはさておき、中秋の名月で満月なのは8年振りなんですってね。月がなかなか昇らなかったので今か今かと家の前を行ったり来たりしていたらおしっこちびるような金色のまんまるで大きな月が見えて思わず家のなかにいた母を呼びに行って母も見た瞬間「ひぇっ……」ってなっていました。 家の中でも見ることができるところまで月が上昇して、それでもやはり怖い。脳内で先日聴いたばかりの聖剣伝説2の「たたり」や「呪術師」が流れて「ぴったりすぎじゃないか! めっちゃ怖い」としばしトリップしていました。 月見で一杯というかたも多かったのかなあ。上に昇りきった月は美味しそうでお酒のアテになりそうでした。 続きが長い上にどうでもよい話なので暇つぶしに読んでくださいね。こういう恨み節の記事は久しぶりに書いた気がします。

*精神疾患でアセクシュアルでグレイロマンティックです

私は変な病気だし元々がかなり内向的で人見知りなんですが、変化はしていきたいほうです。 全然めためただったのが回数を重ねることでましになる、という失敗からの成功体験というのを病気になってからよく経験しています。 本来なら子供の頃にやっていたはずであろうことです。 私は子供の頃は盗聴されている、心の声が漏れている、毒を盛られているという妄想だけに囚われていました。ずっと周囲に怯えていました。 幼稚園の頃の個人写真で睨んでいる(本当にものすごい顔をしているので学友たちにとっては最高の酒の肴でしょうね)のは、当時頭がずっとぼうっとしていて写真を撮られるときに幼稚園の知らない場所に連れて行かれて「この人は悪い人だから見張っていないといけない」と思っていた瞬間を撮られたものだったのがその一枚です。 カメラマンさんも先生も困っただろうな。でも私は見えないものと必死に戦っていました。 私の幼稚園の卒園アルバムを見て笑っている学友のお子さんはみんな〇〇になーれ☆と思っています(うそです)。私はずっと外でも家にも居場所がなくて苦しかったんですよ。事情を知らないとはいえ本人の前で笑うってひどくないですかね。 話がそれました。それで、小学校から不登校になり始めるんですけど、本当に成功体験というものがない小学校生活でした。 学校の体験学習とかで稲を刈ったり草鞋を編んだりするんですけど、とにかく不器用で頭の回転もトロい+焦りまくるので説明が頭に入ってこなくて教えてくれる農家さんの「いるんだよなあ、こういうわかんねえのが」みたいなため息にまた焦って結局できない、みたいなことばかりでした。 なにかが頭でまとまり始めたというのはここ二、三年です。病気になってもうそろそろ二十年なんですけど、いやそもそも生まれつき病気だったんですけど、病気の症状が全て落ち着いてきた……ということはなくて、いつもどこかは不安定なんですが、二十年前だったらただ苦しむことしかできなかったのが今だと「あ、いま調子が悪いな。なにか自分の機嫌を取ろう」と、なんらかの解決策が頭に浮かぶようになりました。 あと幻聴に関しては家のなかで聞こえるぶんには必要以上に怯えることはなくなったかも。外だとパニック気味になるけど。聞こえすぎてヒステリックになることはあるけどそれだけ疲れているんだなあと思えるようになったみたいなね。 失敗と成功を繰り返して、今やっと小学校中学年と同じくらいかもくらいの成功体験の量かな、と思います。失敗を怖れすぎるあまりに結果失敗することが多いので失敗をあまり怖れない人間になるのが当座の目標です。これは自分がそういう習性な気もしているので難しそうなんですが。 余談:恋愛はするものというより見て追体験するものという感覚です 少女漫画も恋愛漫画も恋愛シミュレーションゲームもノベルゲームも好きだけど神視点というか友達の恋愛が上手く行っていて嬉しい、主人公たちいいなあ、みたいな視点で楽しんでいます。