aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

私の見たいもの

いつも自分の作ったものや絵の出来上がりを気にしている気がする。出来上がってしまうとそれはもう自分が作ったものではないように思う。著作権的には私のものという立ち位置ですけど。 でも料理でも編み物でも織物でも絵でも作っているときが一番それと対話している気がするし、一番手をかけて育てている作業にも思う。 私が自分の作ったものに求める見返りってたぶん完成した姿を見たい、というところなんですよね。誰かに見てもらいたいという気持ちが1%もないわけでもないからブログにしているのだと思いますが。そんな人間のつぶやきごとです。

*新作といえるホドのものではないですが

お久しぶり、というわけでもないけど月曜日以来でした。 落ち込むことがあったりしましたがとりあえず気持ちが切り替えられたので戻って参りました。 ストラップなんぞ編んでいたりしましたし、この四日間も編んでいようと思っております。ストラップパーツもけっこう入手しましたし。 ということで久し振りに写真付き日記です。

今回のストラップはカメです。長寿的な感じをイメージして。

 もう少し寄った写真は↓

このカメの無表情っぷりが澄ましているようで格好良くないですか。 ちょっと良く撮れた気がして、なるべく実物大で見ていただきたかったので大きめサイズでアップしてみました。 今回は綿の糸ではなく段染めのヘンプを使用してみました。もう既に下のほうが縮れている気がするけど綿よりは丈夫なのではないか……と期待を寄せています。今の目出鯛のストラップはボロボロではないものの毛羽立ってしまって悲しい。また段染めのヘンプを購入しようかなあ。とは言いましても出費が多かったのでもう少し先になりますけど。

*うれしいこと1

前にも書いた気がして、確認するだけの心の余裕がないのですが、6月の中頃に父の夢を二日続けて見ました。一日目は私たち生きている家族が父の死を認識しつつずっと父の亡骸を冷凍し続けるという悲しい夢でした。二日目に見た夢は一日目とは打って変わり、父がお酒をたくさん飲んで母に怒られて、でも喜んでいる、というかつてあったであろう幸せな夢でした。そんな夢をみたなーと思いつつ、今月父に供えていたビールの賞味期限を見たら、2021年6月、とあってまた驚いた。父の晩酌の相手をするのが一番多かったからそのような夢を見たのか、6月に見た夢から察するに暗に父から「もうこれ飲み尽くしたから新しいの欲しいんだけどー」と催促されている気持ちになり、ひとまずビールは賞味期限の切れていないものに替えて、昨日母と新しいビールを買い足しました。 というか賞味期限切れを気にするような細かい人間ではないはずだったのに(口癖は「(賞味期限が切れていても)死にゃあしねえ」でした)。死んでいるから気にするようになったのかな? それとも賞味期限切れのものをあとでいただく私らへの配慮かしら。わりと、良くも悪くも自己犠牲精神の強い人でもあったからなあ。 ありがたくいただきますよ。

*うれしいこと2

前から気の強かった母方の伯母が病気を機に気弱になり、それでも自己表現活動は続けているらしい、と聞いたのは昨年でした。 私は織っただけで正直なところ「贈るならどうぞ、どうせ邪魔になるのだろうけれども」という感じだったのだけど母がせめてもの慰めに、と私の織ったコースターを昨年送り届けました。 それが変わった段染めの糸を使ったためか、いたく伯母のお気に入りの品になり、今年の今になるまで毎日使ってくれているらしく、私宛(いつもなら母宛)で、贈答品を送ってくださった。 本当に私は織っただけなんだけどな、という気持ちが拭い去れないけれど使ってくれているというのは純粋に、シンプルに嬉しいです。 最近また同じシリーズで違う糸を購入したので懲りずに織ろうと思いました。見返りは求めていないです。自分が織ったものを見てみたい、がいつもの見返りかな。絵なんかもそうなんですけど。