aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

日本の俳句や詩が好きですが

ぱっと思いつくのは時実新子さんの「れんげ菜の花この世の旅もあと少し」です。あまり明るい感じでなくてごめんね? 室生犀星とかもちょっとダークな感じがあるし、影のある言葉のチョイスが好きなのかもしれないです。尾崎放哉もとても好き。句や詩が好きなのに語彙力がないのもごめんなさい。

*(言い訳がましい)

相田みつをさんと言えば「にんげんだもの」が有名ですが私の心に深く突き刺さっているのが「あれもこれもほしがるなよ」の一節です。本当にこれ! とは思うものの、実際の自分はあれもこれもと欲しがっている。実際にやること、できることには限りがあるのに欲しがってしまう。確か仏教の教えの煩悩もこの「もっともっとと欲しがる気持ち」だったような(違っていたらすみません)。古来からの教えだとすると人は欲しがってしまう生き物なのかもしれない、とは思いつつミニマルに生きよう、と脆く浅慮な誓いをするのでした。昔に比べたらだいぶ欲しい気持ちは削ぎ落とされてきているんですけどね……。

*結論としては一人で見る月は少し怖い

昨日の夜、窓が開いていたので閉めよう、と鍵をかけるため障子を開けたらおぼろ月でした。「あらー、今日はおぼろ月なのね。でも風が吹いたら月が見られそう」と思ってしばらく眺めていたらふうっと荒く風が吹き、月と目が合いました。そうとしか表現しようのない間があり、深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ、という言葉がふっと思い浮かぶほど月の奥深くにある目と私の目がばっちり合った、というかある種の気まずさすら感じました。 そそくさと障子を閉じて、湯船に浸かりながら「そういえば尾崎放哉に「こんなよい月を一人で見て寝る」という句があったけれども、あれは「よい月だったからみんな(みんな)と共有したい月だっただろうか」と思うと今回の場合は神秘的ではあったけれど「いい月だねえ」と月見酒を囲みたい感じの月ではなかった。どちらかというとIT(イット)でヘンリー・バワーズが月からペニーワイズが話しかけてくるくらいの恐ろしさがありました。

余談:戒め

今日の0時更新の記事の余談に姉の話を書きましたが「姉は自分の語調が少しきつめなのを気にしてあえて「なので」等のマイルドな言葉を使用しているのではないか」というところに考えが及んだので謹んでその言い回しを受けようと思いました。考えがいつも至らず申し訳ない気持ちでいっぱいなので前回の記事の余談は戒めとして消さないでおきます。お恥ずかしい限りです。