aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

テレビを観ていても顔も声も覚えられないです

よほど特徴的な顔立ちだったり、声でないと分からないです。 普段、本当になにも見えていないし聴こえてもいないです。本が好きなのは確認しながら進むことができるからだと思います。二次元だということも大きい。

*しようもない目標ですが

もう今年も半分過ぎているし、先日夏至も過ぎてしまって今更なに言ってんの感半端ないですが、今年のささやかな目標として「ペッパーミルを買って使う」を掲げたいです。 好きに買って使ったらええやんと思われるかと思いますが、うちの家族にはペッパーミルにはそれはそれは苦い思い出がありまして、もう恐らく二十年以上は前だと思うのですがペッパーミルをお迎えしたことがあったのです。もう楽しくて事あるごとに家族全員が挽いて使っていました。半年も保たずに壊れました。そうそう壊れるものでもないと思うのですが我が家の力自慢といえば聞こえは良いけれど、単なる怪力の持ち主である父か私が無理に挽いて壊してしまったのでしょう。それ以来ペッパーミルという単語が我が家でなんとなく使用禁止になり、ペッパーミルは勿体ないみたいな風潮になってしまいました。 けれどももうそれから二十年くらいは経つんだし、良いものも出回っているはず。そしてなにより私自身「とうとうペッパーミルが使えない人生だったな」と後悔しながら三途の川を渡るより「ペッパーミルも使えたし、人生やりきったわ!」という気持ちであの世に行きたいな、と思った次第です。多少大袈裟かつこまかいことですが、やりきっていないとせっかくの人生が勿体ない気がしてきたんですよね。なので今年に限らず、ペッパーミルを買って使いたいとここに宣誓いたします(さらっと時期がブレた)。

*オブラートに包むという表現が今も全世代に通じるのか少し悩んだ

先日書いたISBN違いの同じ本を購入してしまった件ですが、一度目の問い合わせで「こういうことがありまして」とメールを送ったら「正しいほうに直しておきました!」という返事が返ってきて「それでは特典が違うわけでもない本が月をまたいで二冊届いてしまうー。二冊は要らないですー」ということを、なるべくオブラートに包んで書いて送ったところ「6月か7月かどちらかの一冊だけならキャンセルしていいよ、送料無料の対象外になるかもしれないけど会計時の計算で発送するから送料無料だよ」と、実際の文面はもっとぶっきらぼうながらも書いてくださって本一冊分浮きました。と言ってもその本は元々存在しないのだけれど。一応存在しないほうの本のISBNも控えておいたから説明が通りやすくて(?)よかった……。これからもそういうことがあるかもしれないのであらゆる意味でメモは必要だな、と思ったりしました。

*テレビを観ていても出演者の顔も観ていなくて、顔が覚えられないコミュ障でs

リコカツをずっと観ていて先日最終回まで観ましたが、終わってからしばらく経つまで主題歌が米津玄師さんだと気がつきませんでした。更に書くなら今日まで主題歌のタイトルも知らなかった。「ずっと」と何度も歌っているので「ずっと」というタイトルかな、まさかな、と思って家族に聞いても誰も分からない。母が調べてくれて「Pale Blue」という曲名だったと知りました。なにも知らずに誰かも分からずテレビを観ていることが最近多いです。 前にも書いたかもしれませんが私の母は昔流行った歌も好きですが今の流行りの歌などがかなり好きな人でして、フジファブリック、サカナクション、YOASOBI、King Gnu、Official髭男dism、あいみょんさん、米津玄師さん等々、YouTubeやらSpotifyやらなんやら駆使して観たり聴いたりしているみたいです。あんなに黒物家電が嫌いな母だったのに……人間いくらでも変わることってできるんだなー、と思っていました。ですが、ごく最近になって「あのね、元々ある程度の計算を読んで算出するのが得意だったの」という告白を受けて驚きました。 パソコンとかタブレットの使い方ってそういうことの繰り返しと積み重ねだと思っているのでやはり元々そういった下地はあったのだな、と思いましたし、姉も私もそうやって機械の答えを絞っていってパソコンやタブレット、携帯を使えるようになっていったので父も機械好きだったけど、母もそういう面は持っていたのだと妙に納得してしまいました。父が生きていた頃は機械好きの父に気を遣っていたのかな。 リコカツそのものの感想は終わり方はありがちといえばありがちでしたがそこに辿り着くまでの道のりが面白かったし、ベタさも良い塩梅で楽しませていただきました。終わり方で言うと今期は大豆田とわ子と三人の元夫の終わり方がとても好きでした。ああいう終わり方が好きなんだなーって、自分でも少し感覚が変わったなと思いますが。

余談:私以外にはかなりどうでも良いこと

姉がここ一年くらいずっと「なので」「ので」という言い回しをよくするのですが、家族でその言い方する? と思うほど他人行儀な感じがして聞くたびに心がソワソワしています。丁寧なニュアンスとして使っているのかな。でもその言い回しを聞くと心の壁を感じることが多いためなるべくなら違う言い回しにしてほしいけど、「なので」は主張しすぎない口語というのも見たな。ほかの言い回しが好きでないとしたら仕方ないけど、私としては家族から聞く「なので」はなんとなく悲しいなといつも思っています(王様の耳はロバの耳的に書いておく)。

追記: 気になって少し調べたら文中で使用される「なので」はセーフらしいのですが「"なので"が文頭に来る言葉は口語であり、文語として正しくない」と書いてあり、どきどきしながら自分のブログ中の「なので」を検索をしました。文中の使用率がかなり高かったことも我ながら驚きましたが(そして語彙力のなさを反省)、文頭が「なので」から始まる記事は私調べでは一件のみでした。セーフなのか、アウトなのか。日本語難しいね!(主語を大きくして逃げるのは良くない)