aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

すれ違いは色々あれども

聞いて助けてあげたい悩みと、聞いてほしいだけで解決は自分でする悩みが違うと悲劇だな、と思った話です。

*疑心暗鬼という病気

血液検査を受けて来ましたよ。二本採血してもらってフラフラしていたけど年に二、三度あるかないかの怒り状態で帰ってきてしばらくプリプリしていました。あまりに怒りがひどいので頓服飲んで効きが良すぎてずっと眠っていました。 結果は来週かな。ほかにも気になるところは見てもらお、ってなっています。なにもないとは思うけど疑い出すとキリのない病気なのでね……。

*思い出し悲しみ

そういえば自分が疑り深い性格というか病気で思い出しましたが、何年か前に心療内科のほかにカウンセリングを受けていたのです。その前もずっと20年以上付き合いのあるカウンセラーさんにお話を聞いてもらっていたんですが、脳卒中になってちょっとボケが出始めてしまい、「ではまたね」で電話を切るたびにうちの父が亡くなったことを忘れてしまう、同じ市内に住んでいるのに別の市に住んでいるという勘違いを正さないといけない、というので「お仕事としてはもう頼めないね」ってなって別の方に頼んだのですよ。 最初は母同伴で、家族構成がこうで、周りにはこういう人がいて、みたいな感じで話を詰めていって、そのとき自分が悩んでいることを話していたんですけど、あるときカウンセラーさんが「その病気(精神疾患)で悩んでいることってないの?」と聞かれたことが精神疾患を患っていて一番困った質問でした。 何度も書いている気がするのですが私は生まれてからわりとずーっと疑り深い性格をしていて、子供の頃から盗聴されているとかこの人は心が読めるというような思考をする人間だったのでもうその性格と付き合うには「垂れ流すしかない」と諦めることでした。いや怖い気持ちも今もあるよ。でもある程度は慣れたんだと思う。30年以上そういう性格でものの考え方だし。 ブログに関しても同じで、子供の頃から日記を書くのが好きでしたが「誰かが読んでいるかもしれない」という恐怖心と疑心暗鬼になることに疲れて(実際に姉が読んでいたのもあって)、ブログだったら誰でもいつでも読めるから逆に安心だ、という理由で始めました。これも何回か書いていますね。 なので精神疾患で悩んでいることは色々あるけど、病気ゆえ猜疑心が強くてああなんじゃないかこうなんじゃないかと気を揉んでいる、というのが人に話せる苦しい悩みですかね。 そのときは「ああこの人は病人としての私の悩みを聞きたいんだな」と思って、盛り上がっていた気持ちが冷めて、足が遠のいてしまいましたが。 精神疾患の悩みを助けたいという気持ちはとてもありがたく、嬉しいのですが、家族には話せないけど、なんでもないような悩みを聞いてくれるだけで救われることだってあるんですけどねー。脳卒中になってしまったかたは付き合いが長いのもあるし、そういう私にとっての普通の悩みを引き出して聞くだけでしたけど、話の引き出し方がとても上手かったです。 お年を召していらっしゃるのでご時世的にお会いできないのが苦しいです。 なんだか苦くて暗い話でした。すみません。