aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

ふしんと打つと最初に不振、次が不審、その次は不信

人間性の問われる変換履歴。普請は五回変換してやっと出てきました。馴染みのない言葉です。

*人はなかなか根本的には変わることはできない気がしている

安野モヨコ先生の監督不行届の続きのエッセイ「還暦不行届」がメールマガジンで配信(今もされているのかは不明ですが)とあったので迷わず登録してみて、そのあとはnoteに再掲載されている安野モヨコ先生のエッセイを堪能しました。 ふしん道楽というエッセイの第一回を読んでいて、思い出しました。私も家の絵をよくかいていたことを。全然お話にならないくらいレベルが違うし、寄せようとかそういうものでもないです。単なる思い出として書きます。 私の小学校一年生か二年生の頃は本当に家の絵ばかりらくがき帳にかいていました。設計図のような緻密なものではなく、一階と二階を階段の線で大まかに割り、一階には台所とお風呂と食料庫があって、二階はベッドとクローゼットがかいてあった。この家の絵で一番肝要なのはクローゼットでした。というのも私は元々着せ替え人形が好きな子供で(でも一方では人形が怖かった)、特に好きだったのが紙人形というのでしょうか、紙でできた下着姿の女の子に好きなトップスとボトムスを組み合わせて服を着せる、というものでした。 実際は着せ替え人形の服が好きだったところも大きかったと思いますが、バブルの崩壊を受けてそうそう人形の服を買ってやれない親に遠慮して、という部分が無きにしもあらずだったのですが、その紙人形すら買えない親心にまでは配慮できず、泣いたり駄々をこねたりして、それでも結局は買ってもらえず、あるとき紙に家の絵をかくようになりました。 別の紙にハンガーだけかき、切り取ってうしろに指で粘り気を弱くしたセロハンテープをくるっと丸めて両面表にしてクローゼットの絵に貼りました。また別の紙に下着姿の女の子をかき、それも切り取って同じようにしたセロハンテープで好きな位置に貼って、洋服も好きなだけかいて切り取ってセロハンテープでハンガーの絵にくっつけました。絵のなかに二次元ドールハウスを作って遊んでいました。 この遊びが私は小学校低学年の頃大好きで、学校の休み時間もそれでばかり遊んでいて、クラスの女の子が真似をして作り始めてクラスの女の子のあいだで広まった頃になぜか私はこの遊びをやめてしまいました。何故だったのか今は判然としないのですが、スーパーファミコンをクリスマスプレゼントにもらった時期に被っていたような気もします。クリエティビティー(だったかもしれない)な趣味を一瞬で掻き消してしまうスーパーファミコンというハードも罪な存在ですね。 ですが今もドールの洋服を買ったり作ったり写真を撮ったりしていて、雀百まで踊り忘れず、ではないですが基本的に子供の頃にやりたかったこと・やっていたことを大人になってもやっているし、好きな食べ物が増えても一番好きな食べ物は子供の頃と大差がない気がする。好みの幅が広がっても子供の頃に好きだったものをスライドするように違うバリエーションで再現しているような。 私の場合だと ・子供の頃らんま1/2やエスパー魔美などのラブコメディを好んで読んでいた(バリエーションは少ないけどどちらかというとラブコメ多め) ・今も少女漫画・ライトノベルのラブコメも読むし少年誌や青年誌のラブコメも読む(バリエーションは増えても根本的な好みは変わっていない) というような、伝わりにくくてすみません。 書いちゃ消ししているブログを始めてもそれなりに長いですが、そもそも私は中学生くらいから日記をずっと書き続けていたので今もその延長線上で書いているだけという気もしています。