aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

だけど祖父母はハイカラにも恋愛結婚だったのだそうです

父方の祖父母は結婚式で初めて顔を見たと聞いたことがある。それはそれですごい世界。 母方の家はわりとブルジョワでした。兄弟みんなお金持ちでブルジョワジーなのに母だけドビンボーな父に嫁いでしまってドビンボーを受け継ぎ、私というドビンボーを世に生み出してしまいました。母……ごめんなさい……本当に。

*ダイジェストで追加要素ありの本編となっております

昨日のPV数がいつもより100~150多かったです。読んでくださったかたがいらっしゃいましたらありがとうございました。今日も暗い記事を公開状態にしました。 男性が女性が云々の記事ではなく、前にも書いた祖母と私のやり取りです。これもこの出来事の供養になれば……。 時系列的に日にちを動かさないほうが良いかと思ったので書いた日のままの状態で公開にしました。 再編集版を公開状態にしました。この記事のすぐ下の記事です。 個別に読みたいかたは 2021年03月20日付「あまり楽しげな内容ではなくてすまんです」 からどうぞ。 元の記事は2020年10月30日付の記事ですがいろいろなことを書き散らしていたのでこの度再編集して公開にしました。 簡単に書くと中学生の多感な頃に実の祖母に「あんたなんて生まれてくるんじゃなかった!」と言われて肯定しちゃいけないけど早く怒りが収まってほしくて「生まれてきてごめんなさい」と言ってしまい、結果的に自己肯定力の低い人間が生まれたよ、という話です。 祖母もまあまあ苦労していた人なんですけど(主に祖父の女性関係で)、だから晩年はちょっと言葉が上手く出なくなってしまったんですよね。ってなぜか言われた側が弁護していますが。 祖父の女性関係というのは平たく書くとお妾さんがいたんです。祖父はロシア人の血が混じっていましたし、祖父の世代にしては背格好も良く(子供の頃はひたすら大きくて怖い人でしたが)優しかったのでモテたのでしょう。 で、祖母の気性が荒かったためか、お妾さんと子どもと一緒に家を出ていってしまった。母は高校生か大学生の頃と言っていたかな? 一年か二年くらい経って、祖父の好きな庭仕事のできる実家に帰ってきて、それ以降祖父は祖母に頭が上がらず、お妾さんのかたがどうなったのか不明ですが、そのお子さんは祖母が高校までは出してあげたのだそうです。 母が結婚して関東に出て行ってからそのお子さんはちょくちょく祖母宅に遊びにきていたみたいです。その人も祖母になついていたのだろうし、いとこたちもなついていて、私があまりにも人見知りが激しくてなつかないのでショックだったんだろうなあ。でも宮城と千葉では距離が遠すぎるよ。私もなんとかなつこうと努力しようとしたけど努力でなんとかなるものでもないよねえ。 なので(?)母は男性というものに絶対的不信感を持っていて父との結婚も(この人は真面目そうだ、正直そうだ)という第一印象が決め手だったようです。その通りに、父は背は低かったけどまあまあモテていた(愛されキャラで男性女性問わず)にも関わらず「俺はぜったいお母さん(名前で呼んでいましたが便宜上)じゃないと三日で死んでたと思う」と自覚があるくらいの溺愛ぶりでした。そのわりには喧嘩ばかりしていましたけど、喧嘩できるのは対等だったからなんですよね。 父と母と姉の話はまた今度にしますね。さすがに今日はカロリーオーバーです。