aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

あまり楽しげな内容ではなくてすまんです

昔話をしていたら興が乗ってしまいました。普通の家庭なんてありそうでないですよね。それで言うと私の父母は普通だったかな? と思ったけど父がわりと病気レベルで寂しがり屋だった。どのくらいかというと母が仕事で各所に電話しなきゃいけない、と忙しなくしていたときに自分の相手をしてくれないからと言って電話線をぶち抜くくらいには。普通の家庭……。

*気がついたらそこそこの長文でお暗いことを書いていた

昨日姉が「すごくひどい話を読んじゃったから聞いてくれる?」と母と私に断りを入れてある事件の詳細の記事を読み始めました。それというのは社会人生活5ヶ月目にして将来の夢を応援してくれた祖母を自分の手にかけてしまった女性の話でした。このブログで事件を詳しく語るわけにもいかないので気になったかたはご自身でよろしくおねがいします。すみません。 そんでね、その話を聞いていて、実の祖母の気性が荒いということが気になって「私で言えば母方の祖母の気性が荒かったなー」とか蓋をしていた記憶が蘇ってしまってね。 私は祖父母と離れた場所で育ったし、生来の人見知りも手伝って母方の祖母とは仲良くなれなかったんですね。みんな孫は懐いてくれて可愛いのに、って。姉もあまり懐いてはいなかったけれども特別嫌われているふうでもなかった。 私は一番古い祖母に関するつらい思い出を紐解くと、小学校3、4年生くらいの頃に母がビーズで立体模型を作るのに嵌っていて、ビーズ一式を宮城の実家にも持って行っていたのです。私はその頃から手先が雑で不器用だったのであまり興味があるわけでもなく、作っている母を見るのが好き、という感じでした。姉は祖父母宅は遊ぶものがなくて退屈していて、二階で自分で持ってきた本を読んだり寝たり自由にしていて、一階から物凄く怒っている祖母の声がして「すぐに降りてきなさい!」と言われたんだったか、姉は寝ているから怖がりながら渋々階下に行くとちゃぶ台にたくさんビーズが散らばっていまして。 「なんでこんなに汚くするの!! 今すぐに片付けなさい!!」とかなんとかと半狂乱の勢いで言われたんですが私はビーズを触ったりしていないので確実にちゃぶ台の犯人は母で、その母はお風呂に入っているから呼ぶことも祖母の怒り具合からして「私じゃない」ということもできない。そんなこと言ったら火に油を注ぐだけというのは幼い私にも分かりました。 そんで結局泣きながら冤罪のぐちゃぐちゃビーズを片付けました。 ちなみにそれ以前の祖母との因縁というとまだ赤ん坊だった頃に祖母に抱っこされるのを嫌がった記憶がうっすらあります。 祖母と私が決定的に分かり合えなくなったのは中学2年生か3年生の頃で、その時も宮城に母と二人で行ったときに祖母宅に泊まって、母がどこかに一人で出かけて夕食はそこで食べる、という話だったので私と祖母は夕ご飯の用意を一緒にして、緊張感が漂いつつもそこそこ楽しげな雰囲気で食事を終えました。 で、もうかなり古いことなので詳細には覚えていないのですが(たぶん記憶力が思い出すのを拒否している)、母が帰ってきたタイミングだったか、緊張の糸が解けて、私は客間でわーわー泣いていたのですよ。祖母を怒らせるのが本当に怖かった、もう大丈夫なんだ、という具合に。 それを祖母が見て、今だから思うんですけど祖母も同じように緊張していて、泣いている私を見てショックだったのでしょうね。「あんたなんか生まれて来なければ良かった!!」と何度も言われました。 多感な時期に存在全否定されて余計に泣いて「生まれてきてごめんなさい」と何度も言いながら謝りました。今考えると祖母の言葉のほうが殺傷能力あるし絶対に謝っちゃいかんのですが。 翌日には祖母はケロッとしていましたけど私は硬いしこりが残ってしまって祖母の訃報を聞いたときどういう表情でどういう感情になったら良いのか分からなかったです。 祖母は子供を全員育てあげて保護司もしていてすごい人だと分かっているけど私にとっては仲良くなれない怖い人でしかなかったです。 なんというんでしょうねえ。成長過程で否定されると心が強くなったり育ったりすることもあるけど過度な否定は自己肯定ができない人間を生みかねないですよね。 それでいうと姉のことを悪く言いたくないし、今は「照れだったのかな?」と察することができるけど子供の頃に姉に容姿を否定され続けていて、それが私の女の子が大好きという若干歪んだ女の子への愛情と、自分の容姿が自信もないしなんだったら大嫌いという、自分の容姿を肯定することもできない人間になりましたよ。 ほかにも自分を否定したりされたり子供の頃の私はわりと闇堕ちしやすい要素があるので人生すでにバッドエンド感を醸し出している私の過去が知りたいという奇特なかたがいらっしゃったらまた小出しにしたい所存です。 でも私の悪いところは嫌いになりきれないんですよねぇ。いい子ちゃんでいたいのかよく分からないんですけれども。 祖母に関しても過去にひどい経験をして母曰くそれ以来ちょっとああいう感じ(気性が荒い)になった、という話も聞いていて「なら仕方ない」とまではいかないし、私に行った虐待にも思える行為も許せるとかそういうのはグレーな感じなんですが「祖母も緊張していたんだろうな、ショックだったんだろうな」という背景が見えてしまって憎しみきることができない。 姉にも子供時代に虐待っぽいことをされましたけど、姉は姉で割り切れないものを抱えた子供時代でしたし、現在はそれなりに昔よりは関係が良好だと思っています。今も怒るとかなり怖いけど自分には関係ないことで怒っているときは私にはどうしようもないし、話を聞くことしかできない、と子供の頃に埋められなかった互いの距離を少しずつ埋めているようにも思います。 祖母は高齢だったからどうしようもなかった。母はなんにもなかったのかというと、なんにもないということはなかったですね(虐待などではまったくないですし、今では笑いのネタになる程度です)。 父とも全くガサガサしない関係ではないこともなかったけれど、それでも家族内では仲が良いほうで(貧乏同士、馬が合ったのか)いろいろな場所に連れて行ってもらいました。二人ともお酒が大好きだったので新橋によく行っていましたよ。 友達と、ネットではやりとりはしているけどリアルの距離が遠のいてその友達とも新橋に行かなくなり、父も他界したりして私もさほどお酒を飲まなくなって新橋が遠くなったけど、テレビでおじさんの町として新橋が映るとちょっと面映いですね。コロナなどの影響で今年はそんなに見ない気がして、それはそれで少し寂しいですが致し方ない。 なので(なので?)今はブログを読んでくださるかたが、こんなメンタルが腐って傷んですらいるような私の記事をどんな形にせよ面白がってくださっていることにだいぶ救われています。もうしばらくおもちゃにして遊んでいてください。 そして書いていて感じる、拭えぬ人生どん詰まり感。地獄の釜の蓋が開いた今、がんばろうという気が全く起きないくらいには祖母の言葉は大きくて重いです。「あんたなんか生まれてこなければ良かった」というパワーワードは呪いの言葉ですらある。母は優しい人なので本当に血の繋がりがあるのかと疑りたくなるほどです。けど私は祖母に少し似た気質があるのでやはり血筋なんだろうな。似てほしくないところが似てしまうのは同族嫌悪なんだろうなぁ。 しかし子供の頃のガチ凹み案件を文章にすると予想以上にカロリーを消費しますね。読んでくださったかたには感謝の念に堪えません。ありがとうございました。 ※この記事は2020年10月30日に書いた記事を再編集したものです。