aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

父とごはん(謎料理編)

謎じゃないほうもあるのです。それにつきましてはまた長くなるので次に機会を譲ろうと思います。

*本文の前に

一昨日の流れからして続きを翌日書くだろうと読んでくださったかた、すみませんでした。 体調が整わず、ブログを更新できませんでした。牡蠣ごはんは作ることができたけど体が整わなすぎて味がしなかったです。悲しい。今日の朝に牡蠣おむすびにしてもらって食べたけど朝もあまり整っていなくて食べた感じがしなかった。ひたすらそれだけが悲しい。 そして更新できなくて誠にすみませんでした。 遅れてしまったけど予告通り父の料理のお話を書きます。

*謎料理の数々

父は料理に嵌るとなんでもとことんそればかり作るくせがあったのですが、それが悪いほうに作用した第一作がカレーでした。小麦粉を水で溶かしながらフライパンで焦げ目を作る(?)のですが、だまの量がすごかった。「お肉かな?」と思って噛むとだまになった大小問わない大きさの小麦粉がそこかしこに。家族の誰も食べないけれど私だけが食べていた。冷蔵庫も冷凍庫も逼迫する勢いで在庫の残っていたカレー。最後はどうなったのか記憶にございません。けれどもあまり美味しくなかったのは確かです。私は単なる腹っぺらしな子供なだけだったのだと思います。 ちなみにカレーうどんは二人で作ったけど出汁を入れるということを知らなかったためカレーにうどんを入れただけのものが仕上がり、母に「出汁とめんつゆで味を整えて、水溶き片栗粉を入れるんだよ」とせっかく教えてもらったのに父がすねていた記憶がある。その証拠にカレーうどんに関してそれっきり父が作った姿を見たことがない。 うどんを作ってくれたこともありました。ある日、私は二階で絵かなにかをかいていて夕食に遅れたのです。それで 「今日のごはんってなんだったの?」と訊いたら父が「鍋焼きうどんだった。美味しくて美味しくて」と、酔っ払って良い具合に仕上がり、こぼれんばかりの笑顔で言いました。 「そうなんだ。じゃあそのうどんってまだあるの?」と何気なしに訊いたら父の顔がスーっと青ざめて行き、「うん、美味しかった……。よしじゃあ作ってやるから待ってろ!」 ついつい食べすぎてしまってお鍋にあったであろう私の分がなくなり、それで私が怒ると思ったのか、慌てて台所へ向かう父。なにをするのかと思ったら小麦粉を水で溶いて練り始めた(塩も足さず)。うどんってたぶん少しくらい発酵させたりするのだと思うんですが(※1)そういう工程もないまま包丁で切ってお鍋にイン。出来上がったうどん(のようなもの)のぼそぼそした不味さたるや今まで味わったことのない謎料理でした。 この話をつい最近家族にしたら母は「私だったらコンビニで冷凍うどん買ってきちゃう」と言い、姉は「いや、たぶんお父さんってそういう発想がないんだと思う」と言っていました。確かにそういう発想はなかったかも、と共に料理をすることが多かった身として「父の料理のあり方」みたいなものを思い出しました。

※1 実際は発酵ではなくて「ねかせる」のだそうです。 それと、これも酔っ払って仕上がっていたときの話ですが、確か冬で、その日はお鍋でした。なんのお鍋だったのか忘れましたし、なんの話をしていたのかも忘れましたが「例えばな、このみかんを、鍋に入れてもいいわけなんだよ」と言ってみかん一個をまるまるお鍋にぽんと入れたこともありました。温かくてちょっとしょっぱいみかんはこの時以来食べていない気がする。そしてなんの流れでみかんを入れたのか全く憶えていないけど衝撃的すぎてその瞬間だけ焼き付いています。 ある風邪を引いた日に、母がホットレモネードを作ってくれて「もう一杯飲みたいから作って」とお願いしたらなにかの量が足りなくて少なかったんですよね。それで量が少ないとかあーだこーだと言っていたら父があいだににゅっと入って飲んでいた芋焼酎をどぽどぽ入れて「これでいいンだ」と満足げに言い、母は「そんなもの捨ててしまいなさい」と言い、私はそれを飲んで風邪が快方に向かった記憶があります。ただ単にお酒を飲みたかっただけなのか。ちなみにその後また風邪をひいたときはホットレモネードだと忘れていて父に卵酒を作ってもらいました。 「俺、こんなん作ったっけかなあ?」ってずっと言っていて私は「作ってくれたよー」と言い続けていたけど、作っていませんでした。今だから懺悔します。ごめん父。 そんな父の謎料理の数々。母に言わせると「サチもその血を継いでいるよ。時々『なんでこんなもの作るの? 信じられない!!』っていうの作るの、絶対にお父さんの血だと思う」だそうです。その言葉……否定しきれませんでした。 元々錬金術的に「これとあれを入れてこんなものが?」みたいな発想するの好きだし、よくよく考えると父も「粉と砂糖と卵を混ぜて焼くとケーキができるのって本当に不思議でわくわくするよな」みたいなことを言っていたので似たもの親子だったのかもしれない。 私は父に対して文句ばっかりぶーぶー言っていたわりには父と行動を共にすることが多かったです。なんだかんだと言って父親っ子でしたねぇ。母は母で好きだし姉も好きだしわんこも好きなんですよ。ずっといたメダカは夏前におなくなりになりました。 家族であっても生まれた瞬間から別れに向かっているので儚いと感じてしまう。 せめて記憶に留められるように形にしてみました。我が家の優しいけど、ちょっと変で情に厚いけど偏屈で、天然系乙女という色々な属性持ちの父の一面をご笑覧いただけましたら幸いです。