aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

分からないことが多すぎる

知っていることより知らないことのほうが多すぎるし多くを知るとそれだけ不幸にもなりそうなので無知でいようと思います。それとは別腹で探究心と知識欲みたいなのは無駄にある。つまりどっちなんだよ。

*ニュアンスで使われているスラングも多い気がするけど

唐突に日本語が分からなくなるというのは加齢でしょうか。キャッキャという言葉があって、それが主に女の子同士が戯れている様子だとか話題に花を咲かせている様子を意味しているであろうことは想像がつきます(違っていたらすみません)。でも最近目にする、主におたくのおじさん一人に対してキャッキャしている、という使う言葉の意図するところが分からず、またスラングみたいなものなので調べても出てこなくて、意味もちゃんと理解できなくて人に説明できる気もしなくて愕然としました。友達におたくのおじさん(というか少し年上なだけ)はいるけど、キャッキャするという感じではないので上手く想像できない。おたくのおばさんは分かる気がします。女の子がおばさんにスライドしただけとも言えるし昔から女三人寄れば姦しいと良く言うじゃないですか。女が群れると姦しいのは分かるんですが、おじさんが一人でキャッキャするという情景が思い浮かべられません。 どういった状態を表しているんだろう。

*生まれたときから疎外している(されている)感もある

赤松啓介さんの著作は高いなぁとウェブ書店を見てため息。元々なんで赤松啓介さんに興味を抱いたんだっけ、と思ったら、前にも書いたかもしれませんが(そういうの多くてすみません)日本の古い話を知りたいと思って柳田國男さんのどれを買えばいいのかな、と迷っていたときに運良く? 運悪く? 津山事件のことを知ってしまい、津山事件に関する本を集めていたときに、そこで明治時代以前の日本は夜這いが多かったとかそういう話を知って赤松啓介さんの著作に辿り着きました。ちなみにうちの両親は共に部落という言葉も意味も知っていましたが、子供には教えないでおこうという教育したので、私は27歳頃に関東以西出身の友達ができるまで部落という言葉も漢字も意味も知りませんでした。東北にもそういうふうに言われた人はいたそうですが。 そこで赤松啓介さんの差別の民俗学を購入して読みましたがまだ読了には至っていません。ちびちび読んでいます。夜這いの民俗学は読了しましたが。 閑話休題。しかしながら子供の頃からの疑問で「人を悪く言ってはいけないよ」とは言うものの、悪く思う気持ちがあって、それをストレートにも皮肉にでも表現できる言葉がいつまでもなくならないのは何故なんでしょうね。悪く言ってはいけないのも分かるのに、なぜ悪く思う気持ちがあったり選民意識があったり、そういった感情に名前がついているのでしょうか。悪く思うほうが悪いのか、悪く見せているほうが悪いのか、時々判別がつきません。 子供の頃に自然と、なにかに対してだったり誰かに対して違和感を感じたとき「それは嫌という感情で、嫌を伝える言葉はたくさんある」と知った時の絶望感を未だに忘れられない。 幼い頃、バカとか金魚のフンと言われて、言われたときは意味がわからない。けれど貶されたという実感はあった。吐き捨てるように、小馬鹿にしたように言われたからだ。意味は分からなくてもニュアンスで意味が伝わることもある。対人間以外でも。人は、生物は一つの個体では生きられないのになぜか突き放す言葉はなくならない。うーむでもベニクラゲは延々幼体と成体を行き来するそうなので一個体でも生きていけるのかも。例外ありか。

*私の勝手な食文化

海苔に梅干しのパウダーを挟んだお菓子を買ってきて、と頼んだらくらこんの梅昆布を手渡されました。実はくらこんの梅昆布は自分でも買っていて、二個目というか一個消費したので三個目になったりしています。 海苔も昆布も梅も好きです。梅干しを家で作っているのに飽き足らず梅干しシートも買ってしまう。 ちょっと前までグミ系のお菓子を買っていたけど砂糖の塊らしいと感じて口寂しさを紛らわすために昆布や梅干しを食べています。もう少ししたら海苔のお菓子も買いに行こう……ワカメも昆布も焼き海苔もあおさも大好きです。 海藻類が好きだと日本人の感覚で幸せ! と思う。けど海外ではワカメや葛、イタドリなどが侵略的外来種に指定されているのを見ると「美味しいのに」「高価なものなのに」と思いはするけど食べる文化がないものはどうしようもない。韓国の犬を食べる文化(今もあるのかな)と似たようなものなのかなーと思います。逆に海外で食べるものが日本で歓迎されない、それこそ韓国の犬みたいな例もあるし。日本でもお寺の精進料理とかありますし。 宗教上の理由で豚肉食べない、牛食べないとか、でも日本で育っちゃった子は親が食べないように教育しても幼稚園や保育園の給食で出てくると周りの子は宗教関係なく食べるから親の宗教で「食べちゃだめ」と教育されている子もつい食べちゃうみたいな話も聞きますし、宗教上での「食べられない」も文化だなと最近考えさせられました。 美味しいものを程よく美味しく食べられる鈍感な舌です。でも自分的食文化でカエルと爬虫類と犬猫ネズミ猛禽類は食べたくないです。

*いつまでも少年期

最後にちょっとだけ。 一年分くらい見ていない(録りためたまま)「勇者ああああ」を一度「今週のはネットもテレ東かティーバーで見て」と先送りにして録らせてもらった「よゐこらぼ藤子不二雄でパーリナイ」を観ました。盛り上がりますねぇ。ドラえもん音頭はうっすら記憶にあるくらいでしたがイントロを聞くと「あー! これ!!」という。 「きてよパーマン」は鮮明に覚えていました。というかこの歌のなかで結局来てくれなかったパーマンへの有野さんの突っ込みが良かった。なかなかうまく行かない絵描き歌も面白かったです。 F先生の救いのない終わり方も好きですが今思うとA先生のお話は救いの形がメリバっぽいのかなと見ていた二人で話していました。 キテレツの歌も好きですが(EDのメリーはただのともだちも好きです)、エスパー魔美も流してほしかった……。テレポーテーション~恋の未確認~も好きだったし今も好きです。しかしキテレツのお料理行進曲の二番がまさかのナポリタンだったのは驚きました。 エスパー魔美は男の子多めの家庭で既に青年に片足入れていると見なかったりするのかな。有野さんはチェックしていそうですが。うちではドラえもんとエスパー魔美が人生最初の漫画だったので感慨深いです。 原作の好きな話はガン細胞をテレポートさせる話(タイトル失念)と地下道おじさんです。蛇かなにかが出てくるお話はいつも風邪で高熱が出たときに読んでいて「怖い、熱い」と思いながら読んだ記憶。 トイレにテレポートではなく自分の尿意を人にテレポートさせるF先生の発想は未だに唯一無二で奇抜だと思います。 よゐこらぼ番組最後のほうで流れた少年期で不覚にも涙が出てきてしまいました。とても好きな歌です。パラレル西遊記の君がいるからも大好きですしドラビアンナイトの白鳥英美子さんの歌う夢のゆくえもよかった(君がいるからと夢のゆくえはよゐこらぼでは流れませんでしたが)。 映画のドラえもんは終わる瞬間のカタルシスを高めてくれる曲が多かったなー。 また小宇宙戦争が見たくなりました。少年期が流れるところが名シーンすぎて「お前この! ニクいぞ」という演出を涙を流しながら讃えたい。