aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

あまりの偶然にびっくりだよ

一昨日の記事を反芻しながらよゐこチャンネルの生配信を見ていたら偶然滝沢カレンさんの料理の作り方が出てきてびっくりしました。滝沢カレンさんの作り方がtwitterで話題になったのは去年の11月頃だったので出てきたタイミングが本当に偶然で自意識過剰な心臓がばくばくしています。たぶんというか絶対に当ブログは全く関係がありませんがちょっとだけ嬉しい。 書いているのは木曜日ですが更新時間が遅くになってしまったので木曜日は欠番にして金曜日の0:00予約更新になっています。 *ひねている。ひねっているつもりはないのに 一昨日のPV数が一月二日と同じPV数で驚きました。恐らく滝沢カレンさんの文の作りに感嘆されたのでしょう。私も「いいねのボタンの数が絶対に足りない!」と思いましたもの。 ちなみに一月二日にどういった記事を書いていたのかプレビューしてみるとその時も二回更新していて 一月二日付「パーカーは裏起毛で暖かいです」 という、簡単に説明すると新居昭乃さんのライヴの感想+友達に会った話+私が駄目な人間であるという話ですね。もうひとつが 一月二日付「持たざるもの」 というタイトルの、私が一緒に暮らす犬にも憐れまれるほど完全に駄目な人間であるという私の人生の命題と向き合ってみたけど無駄だった記事です。そして一昨日の記事が 一月二十九日付「散歩とかは苦ではないとして という、バリバリ元気だけどシモの世話が大変なわんことの生活の一コマ的な話が一つ。もう一個が 一月二十九日付「全部を要約すると自意識過剰だな」 という、私が日常的に思っていることは世の中的には自意識過剰であるという記事で、一月二日の記事とともにまとめると介護している犬にも憐れまれている私は自分で思っている以上に過剰な自意識の持ち主の生きる力に欠けた人間であるということか。なんか悲しいぞ。そんな悲しみも通り抜ける風くらいにしか感じないけども。悲しいというより憐れなのか。自分で自分を憐れんでみると、もうどうしようもないという気持ちしか生まれない。 一月二日の時は母に読んでもらったら「みんな自分に自信がないから共感するんじゃない?」と肯定的なふうに言ってくれたけどたぶんちがうとおもいます。もし母のいう通りだったら心がひねくれていていてごめんなさい。 *さきおり一年生(なおプレ入学) 裂き織りを始めました。む、難しい。裂き織りというから布を裂いたらいいのかなと思いきや綿素材は裂いたりハサミで切ると糸がほつれてしまったり丸まってしまったりしてもう既にボロボロです。 布がひんし。やはりローラーカッターが必要だと思い至りました。先達の教えは大切にしよう。 裂き織りは始めたけど織機は購入に至っていないのでお試し期間中ですけども。作り方をみて段ボールと割り箸で織機っぽいものを作成してみました。改良の余地ありですが。 楽しんで織るところまで行けていないです。同時進行でヘンプでコースターも織って行きたいです。上手くなるにはとにかく織るしかないな。私にせっかく芽生えた向上心を大事にして行きたいところでございます。 *余談 それとドールの服も作りたいのでもう少し自分で自分に生きる気力を与えようと思います。やりたいこととできることと生きる気力のバランスがどれ一つとっても合っていないといつも感じる。三位一体とはいかなくともバランスを合わせたいところです。 ブログも放置状態のブログが多いので更新したいな。 やりたいこととできることと気力のバランスが本気で悪い。どう考えても偏っている。 分かっていて直さないところをみるとどうしても生きる気力が足りないと思う。踊らない(られない)ダメ人間です。 踊るダメ人間をネタにして思い出したけど大槻ケンヂさんのことが長いこと苦手でしたが、幼い頃に考えておられたことと私自身の幼い頃に勝手に類似点を感じてしまってそれ以来好きになりました(ミーハー)。踊るダメ人間は好きです。