aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

人にどう思われても構わないというほど人間ができていないけど


 それでもいちいち人の一挙手一投足を見て論って笑っている人を見ると自分もかつてしていたことだけにみっともないと思ってしまう。
 自分の人生に一ミリも関与していない人を見たくなる心理も論って笑いたくなる心理も分かるけど、少なくとも私は人間界の下層にいるし、せめて笑うのは辞めようよ、辞めなよと思う。見るのも笑うのも人の勝手だけど私には押し付けてほしくない。
 でも私も過去に「この人面白いよ」って押し付けていたんだな。馬鹿だったな。今も馬鹿だけど。
 そういう話を聞くと(人を論って笑いものにするような話)文頭に持ってきてしまうほどには怒り心頭に発する。要するに私は今、ちょっとばかりヒステリックになっている。

*愚鈍でしょうもない話
 昨日の記事の続きになってしまうけど、イットの吹き替え版の声優さんの話を姉としていて、リッチィが諏訪部さんでTVアニメ版のジョジョ三部だとテレンス(五部だとアバッキオ)、ベヴの高垣さんはマライアだね、という新たな発見がありました。しょうもない話。
 ドラマ版のイットと映画版のイットのレビューを見ていて、映画版のビル・デンブロウの描写に「彼こそがリーダーであるという描写が描かれていなかった」という文を見つけ、「ああ確かに、映画版のイットはビルがリーダーで、なぜだかカリスマ性があるという描写がなかったな」と改めて思ったりしました。
 ドラマ版のビル・デンブロウの子役は夭折の俳優、ジョナサン・ブランディスが演じていて、その美貌はネバーエンディングストーリー2でのバスチアンの演技で「プリンセスより美しい」と一部の界隈で評されてしまったほどでした。
 ジョナサン・ブランディスがビルを演じることでビルに不思議とカリスマ性が生まれ(エディか誰かのセリフで「彼こそがリーダー」的なセリフもあった気もするけど)、ビルとはまた違うカリスマの持ち主のベン・ハンスコムもまた、もう一人の主人公のように思う。
 原作再読を始めて、最後まで読めていないのでなんとも言えないけど、リッチィとエディは敢えて三番手に収まっている気がする。
 けれども、だいぶ前にネタバレを偶然見てしまって、それが真実だとしたらイットという作品の完全な映像作品化は永劫に難しい気がする。そのネタバレが事実がどうかわからないけども。
 ミザリーも読みたいです。その傾向にある読者的(視聴者?)には。それとThe Bodyも。

*バックアップのバックアップを取りたい
 この記事を書いている途中で姉に呼ばれて、階下へ行くと父が生前使っていたiMacを姉がリストアして使うので手伝ってほしい、ということだった。リストアするということは父が遺したデータは全て消えてしまう。外付けのハードディスクもあったはずだけどお葬式やら偲ぶ会やらのごたごたのときにどこかへいってしまったようで家にはなかった。共同で使っていた事務所も移転してしまったからもうあるのかないのかすら分からない。
 全て消してしまうのはさすがに抵抗があって、データだけでも取っておくことに決めたはいい。しかし、何せ父の遠慮のない画像などのデータの大きさで、USBメモリに入れるのは無理だったし、DVDに焼こうと思ったけどDVDが4.7GBという今日び書類データだってそんな軽くないぞ、というくらいの小ささだったので結局私の外付けのハードディスクに入れることにした。
 でも2016年から使っているバックアップディスクなので空き容量が既に17GB……。必要なのは最低でも60GB。いらないデータや重複しているファイルを削って削って100GBの空き容量を作って(作ることができたのも逆にすごかった)、父のデータを圧縮をかけてねじ込んで、十四時くらいから作業を始めて十八時に作業終了。
 それもバックアップを取る工程だけで、リストアなどはまたの機会とのこと。なにもしないのも(できないだけだったけど)なんなのでバックアップを取ってくれたお礼にチョコバットを買ってきて姉と母に差し入れ。自分でも食べてみて、多分初めてチョコバットというものを食べたと思うけどチョコがかかったパンみたいで美味しかった。またお世話になりたい。
 新しいバックアップ用のハードディスクを買わないとな。デジタル作業をする人間に必須なものなのになかなか手が出ない。でも買わなくては!