aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

なにもできていないのは今も一緒なんだけどね


 昔よりは家族のためにできることが増えたかな、と思うし少なくとも家族や近くにいる人は私の敵ではないと思えることが今生きていることの幸福かと思う。

*庭でなったものを漬ける担当みたいになっている
 母に「紫蘇の実がなったから漬けてみて」と言われてレシピサイトさんを見つつ塩漬けと醤油漬けを作りました。美味しくできたんじゃないかな? と思ってしまうのはもともと大葉自体が間違えようもなく美味しいからだと思う。
 今日のお昼に紫蘇の実のお漬物でご飯をいただいて、昨日書いたぬか漬けですが、昨日食べたものは漬け時間が一時間ほど。味が浅くて表面だけしょっぱい。母は美味しいと言ってくれたけど気遣いとしか思えず、昨日はそれで終了。やはり初手からうまくはいかない。今日のお昼十一時頃にきゅうりを漬ける。
 十四時頃にお昼ご飯の時間なので半分を取り出して切る。やっぱり表面がしょっぱく、中はそんなに漬かっていない。そのあと十八時に取り出して切ってみたら表面はちょうど良い頃合いで中まで味がしみていた。乳酸菌はまだそんなに増えていないのか酸味は薄い。味が少しぼんやりしているのでぬか床に唐辛子を足して入れて混ぜた。風味に広がりが欲しくなったら鰹節を追加してみることにする。
 とりあえず二回目はまずますの成功でした。
 今の段階では六時間から七時間は漬けたほうが良いのかもとメモ。
 そういえば夏のあいだに収穫したブラックベリーとブルーベリーを冷凍していたから、漉してソースにしようか。

*ぼくのなつやすみはこうして生まれるのか
 わんこの散歩にほとんど毎日行っている。時々母と一緒に行ったりもするけど、一人ずつで行ったほうが休む日ができるため、交代で行くことが多い。
 例年ならばもう靴を履いて羽織りものを羽織っているはずだけども私は去年から夏のシーズンに履いているボロボロのサンダルを履いている。
 仮にも女としてどうなのかというくらいの擦り切れ具合なのだけど、擦り切れているのはインソールの部分なので「脱がなければ誰も気づくまい」とルーズな心のまま散歩のときのみ、そのサンダルを着用している。
 そう、秋となった今でも。それだけ暑い日が多いのだなと思うのと同時に今日なんて鈴虫に混じってツクツクボウシが鳴いていた。「今年は変な気候だ」と父が毎年言っていたけど受け継ぎたくなるほど今年も変な気候だ。
 ちなみに羽織るものに関しては初秋くらいから薄手のパーカーを羽織っている。寒いからではなく、蚊やダニなどから身を守るため。昔は蚊だのダニなの気にせず半袖のワンピースやシャツで走り回ったものだけどいつからこんなに蚊やダニやノミが世を席巻してきたのだろう。草むらになにも気にせず分け入ってはまけたりなんだりしたけれど今は草むらには入らないし、入るとしたらズボンに長袖だ。なりきり! むーにゃん生きもの学園を見ていてもそうだったし、注意書きまでされている。
 三十年前は確か最大気温30℃で大騒ぎしていた気がする(気のせいかもしれないが)。
 今の世が怖いことなのか、情けないことなのかわからないし昔は昔で良い時代だったけれど、戻りたいとは思わない。
 昔の自分にとって周りの人は全員敵だったし誰も信用してはいけない暗示に囚われていた。
 なによりもう一度三十年をやり直すのは最初は良くてもかなり骨の折れる作業だ。また何年か前に戻りたくなるのだろう。そうするとなにもかも進まないまま私は人生を終えられない。

 おしまい。



追記.今日の夜に更新する予定ですが、書くのに十分な時間がとれないかもしれないのであまり期待はしないでください。