aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

人は変わって行く


 大体はあまり意図せずに、時に自分に節目をつけて。
 私は十代の頃、絵描きになりたくて絵ばかりかいていた(大して上手くはないという自覚も多少なりともあったし、それでも根拠のない自信もあった)。反対に運動は大嫌いだった。
 今の私はかきたくないわけではないけれど絵はあまりかいていなくて、ウォーキングや体を動かすことが好きになり、運動に昔ほどの抵抗はない。
 運動で得る疲労感は心地よいものだと気がつかせてくれた人がいたからだ。
 人はずっと同じままではいられない。この件もそのうち深く探ることにする。

*好きな監督の観たことのない作品(余白)のある嬉しさと恥ずかしさ
 今敏監督のKON'S TONE、パーフェクトブルー戦記は勢いのまま読み終えてしまい、千年女優への道を読もうと思ったけれどさすがに書籍化されているだけあって序盤しか読める部分がない。妄想代理人は見たいと思いつつ機会に恵まれず、見ていないので別の機会に。同様の理由で東京ゴッドファーザーズも勿体なく、読むまでには至らない。千年女優への道は書籍を購入するとして、消去法でパプリカ……となるのだけども、今監督最期の作品なのでやはり生半な気持ちで読むのは憚れる気がして、目に留まった「コンズ便り」を見てみる。初めて触る項目。
 雑食日誌の起こしを見て驚いたのは、1999年から2003年頃までに読んでいた作家さんの作品名や映像作品、もしくは今でも読みたいと思っている本、映画作品などの名前が所狭しと並んでいる。
 好きな作家さんと好きな本が同じだったりすると嬉しいと勝手に感じるほうではあるけど、まさか「どうやったら読める・探したら良いのか」と思っている本まで出てくるとはと、思わず頭のなかで祭囃子が鳴る。
 読んだことがあるのは主に春日武彦さん、阿刀田高さん、大塚英志さん。接点少ないな。でも春日武彦さんの本は何度も捨てようとしたのに何故か部屋から見つかるというちょっとホラーな因縁つき。
 興味があった・あるは河合隼雄さん著書、町山智浩さん、宮沢章夫さん、マイケル・ムーア「シッコ」、「バタフライ・エフェクト」、「オズの魔法使」、「不思議惑星キン・ザ・ザ」辺り。「未来世紀ブラジル」(パーフェクトブルー戦記に記載あり)も観たいと思っていて15年以上経つのではなかろうか。寝かせすぎて発酵していそう。
 特に今とても私的に熱い人の(今月が忌日でもあったし)折口信夫。の、関連著書「古代から来た未来人 折口信夫」中沢新一/著は知ることができて嬉しいので自分のブログをメモ代わりにしておく。
 柳田國男の関連著書を読もうとして、本人の著作より周辺人物の赤松啓介さんとか折口信夫さんの本を読みたくなるのはどうしてなのか。その影響によって柳田國男自身の著作に二年は近づけていない。時間がかかっているけど今は赤松啓介さんの「差別の民俗学」を読んでいて、折口信夫さんのマレビト信仰もとても気になっている。

*宝物は色褪せない
 今監督の名前を知ったのは平沢進さんの「白虎野の娘」がネットで爆発的なムーブメントを起こしていた頃だからパプリカの頃だろうと思う。作品自体は千年女優から入って、観た感想は「訳がわからない」だった気がする。
 「なんだこの映画は?」と、疑問符ばかりと映像の美しさが印象に残った。脳がねじ切れるくらい意味が判らないけど、気になる。シンプルにそういう印象。千年女優は二、三度観たきりで、次回に観るのが四度目くらいになる。対照的に何度も観ているのがパーフェクトブルー。妄想と現実が曖昧になって行くのは恐怖感を煽られるけど映像は美しくて、中毒性がある。何故実写でやらないのかという質問が当時国内外で相次いだそうだけどファンの人は「アニメでしか作れない作品」と思うのではないかと思う。今でこそな感想(結果論)である可能性も大いにあると思うけど。
 映画が封切られた当時は13歳とかだったと思うから15Rのパーフェクトブルーは観られなかっただろうけど、千年女優、東京ゴッドファーザーズ、パプリカのどれかは劇場で観たかった。
 パプリカは比較的分かりやすいし、やはり映像美と音楽の美しさというところでも好きなんだけどその思いは子供の頃の宝物を想起させられる。誰の目にも触れさせたくない、自分で見るのすらも勿体ないから宝箱に入れて時々覗く、みたいな眩しさと高揚感。見る度にどきどきするような憧憬。いつ観てもディスクをセットするとき、冒険が始まるみたいにほんの少しはらはらして胸が躍る。


 これは余談ですが私の映画館で見るほど映画が好きだった時代は中学生の頃に観劇に行った(二度ほど)ケイゾクの劇場版と働き始めてから職場の比較的近くのマリオンで観劇した千と千尋の神隠しで終わってしまった。これも二度ほど観に行って今も好きだけれど程なくして病気が発覚して、病気や薬などの影響で映画館でじっと鑑賞することができなくなってしまった。
 「うら若き日のうちに千年女優も観たかった」と痛切に思うと十代の頃に萩尾望都先生のトーマの心臓を読んだ折、当時二十代だった姉に「私も十代の感性が鋭かった頃に読みたかった」と羨まれてほんの少し鼻をこするような気持ちになったけれど、時が流れて今は今敏監督の作品をまっさらな気持ちで観ることができる十代の方とリアルタイムで映画を観ることができた(年齢は問わず)方が羨ましいです。
 若いっていいよね。意味の分からない強さがある。根拠のない万能感とも言うかも。
 年齢が年齢だと私も若いうちに入るのかもしれないけどそれでも「ハロー四十肩」や「来ちゃった更年期」や「やあ若年性認知症だよ」などが自分の出番はまだかと扉が開くのを待っている状態を若いと言えるのかは疑問だけど。
 ちなみに「脂っぽい食事とストレスが大好きな胆石氏」は近くて遠いオトモダチになってしまっている。
 日によって程度に差はあれど元気でやりたいことが多からずがあるのが自分の人生のうちのささやかな救いかな。それすら見えなくなるときもあるけど。そこを突き詰めると「私は自分の人生で自分を褒めたことがない」という話にスライドするのでそれもまたいずれということで。