aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

もしかして:


 トリ頭だから点数やルールが覚えられないのでは。点数はともかくルールに関しては「否」とは言い切れない気がする。ルールを覚えるのが苦手です。

*出任せ
 昨日の夜からずっと「あー煙草を吸いたいなー」と思っている。ニコチン切れで苛々しているとかではなくて(そもそも二年以上吸っていない)ストレスがかかっている今の状況下で打開策が欲しい、気分を切り替えたい、のサインだと自覚している。なのだから気分を切り替えたら良いのだと思うし、煙草を買いに行って吸ったところでなにも状況は変わらないだろうというところまで予想はできても現実的な気分の切り替え方が分からない。
 同じく昨日からずっと行きたくないとちくちく思っているヨガに行けば多少気分が変わるだろうとも思うのでそこはそれ、行ったところ任せで気分を変えようという救いもある。救いがあるというのは幸せなこと。
 しかしながらタモリ式禁煙法(実際の禁煙でも役立った)のように数字を数えていると頭が切り替わっていることも多い。タモリ式禁煙法すごいな。私がトリ頭なだけか。

*柔道と相撲は好きですが
 兼ねてから母は池井戸潤先生原作の陸王のドラマが好きで観ており、ノーサイド・ゲームも観てそのままスライドするようにラグビーワールドカップも楽しんでいる模様。姉も同様のようで、スポーツ観戦音痴の私だけ置いてけぼりの状態。ドラマは楽しく見ていたのにな?
 元々母はスポーツ観戦が好きな気がする。駅伝やマラソンの放送があると必ずと言って良いほど観ているし、サッカーの世界大会もわりと観るほう。野球は父が家族で一番好きだったけど今は高校野球を嗜む程度に観る。
 別けて母はオリンピックが好きで、前回の冬季オリンピックを父が亡くなって初めてじっくりと観戦したけれど、それはなかなか心が熱くなった。
 父はスポーツ観戦をすると一喜一憂の浮き沈みが激しく、自身でもそれが鬱陶しいらしくてだからこそオリンピックやW杯のような大きな舞台のスポーツを見たがることはなかった。逆に勝手にテレビを消したりチャンネルを変えたりというような姑息な手を使ってまで見させようとしなかったほど。
 今、母はスポーツ観戦をし放題なわけだけど私も父に似てしまったのか、スポーツを最初から最後まで見るというのがどうしても苦手でテレビの映らない二階でブログを書いたり本を読んだりゲームをしたりと自分の時間に充てている。
 見ないから見て楽しむ技術が上達しないとわかっていてもどこをどう見て良いのかが分からない。
 そして第二言語を覚えたいという私と母の意見が合致して教育番組の英語講座を毎日見ている(録画したものを繰り返して)。
 私は単純に第二言語を覚えたいという目的だけだったけれど母は来るべき東京オリンピックにも備えているらしい。
 オリンピックまでに喋ることができたらすごいけど、英語に関しては実体験を踏まえると家に日本語がほとんど通じない英語圏の人が一人いるだけでめきめき上達すると思う。なるべくなら辛抱強い人にお願いして。
 私もせめて東京オリンピックは楽しめるようスポーツ観戦音痴を少し脱却したい。それと英語も。