aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

もうスラングでもないのかもしれない


 日本語を勉強する海外の方の日本語スラングツイートを集めたブログさんが面白くて読み漁っていました。私もハッシュタグJapaniseとかハッシュタグNihongoとかで検索してみよう。と、思ったのちに私のはスラングでもなんでもなくて単なる母国語への甘えなのかも、と反省した次第です。 *言葉の意味を正しく理解して使うのは難しいよね  姉が言葉を言葉の意味通りに使うコンサバティブ派だとしたら私はニュアンスで言葉を使うのでニュアンスという名のスラング派なのかもしれない。  例えば、こういうことがあった。  家族の洗い物を置く場所が長年タオルを敷いたトレイの上なのだけどもそこに置くと姉が「洗剤のニオイがする」というので姉のお茶碗とお椀のみ食器棚に置くようになった。  そうなってから少し月日が経ち、今月に入って洗い物をしていた私の目に姉のお椀の横に母のお椀があるのを見つけた。私は堪らず「ねえ、二人でこっち(食器棚)にお茶碗おくのズルくない?」と言った。  この場合の「ズルい」はよく言われる「悪賢い」とか「人を出しぬこうとする」という意味ではなくて、「私一人だけ食器を置く場所が違っていて寂しいんだけど」というニュアンス。寂しい、と素直に言えない。  ただ、こういう事例もあるので耳が痛いです(外部リンクへ飛びます)。  閑話休題。それを聞いていた母はわりと早くに私の伝えたいニュアンスを掴み取ってくれたけど姉は言葉は正しい用途で使ってほしいし使うほうなので「ズルなんかしてない……」と意味を取り違えて、少しスネられてしまいました。  すぐ話題が変わったので完全に姉スネ、私フテクサレにはならずにすみましたが、使う用途によってこういった言葉のすれ違いが起きるのは母国語ならではかな、と思いました。第二言語だともっと前段階ですれ違いが起きそうな気がする。