aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

美味しさに感動した気持ちを伝えたいだけだったのに


 ただの卑しい人みたいな記事になってしまった。悲しい。 *プライスレスをなかなか感じられない日常で  数日前にご近所さんにメロンをいただいた。そこの家のお子さんが北海道で農業のお手伝いをしていて、メロンを大量に送ってもらったけど食べきれないから、ということらしい。  見た目が先ずとても大きく、持つとずっしりと重い。  メロンというとむかしテレビで見た料理番組の衝撃を未だに忘れられずにいる。  それは美味しいメロンを題材にしたもので、料理研究家なのかなんなのか、かなり幼い時分に見たので分からないけれど女性が「10,000円のメロンと1,000円のメロンを用意しました。(両方切り分けて食べる、確か)味が全然違うでしょう」といっているような番組なのだけど、衝撃が半端ない。我が家では1,000円のメロンすら食べたことがない。  そしてその1,000円以上のメロンを食べたことのないまま、「今年は誕生日の小玉メロンのメロンケーキが今年最初で最後のメロンか。美味しかったし、それもいいよね」と思っていたところに大玉のメロン。瓢箪から駒? 棚から牡丹餅? よく分からないけどいただいた日はひたすら嬉しいのと「こんなすごいメロンをいただいていいのだろうか」という、意味のわからない緊張でお腹が痛くて痛くて仕方がなかった。  そして「25日頃が食べごろだよ」とうかがっていたけれど25日になってもメロンから甘い芳香はせず、母が「もう少し置いておこう」というので置いておくことに。私は気が気ではなかった。だって甘い香りがすることもなく、ただ内側でメロンが腐っていってしまったら……! そんな誰も得をしない、不幸なメロンってある? と一人煩悶を募らせていた。  しかし「香りはしないけど、切ってみる?」と母がメロンを持って台所に立ち、私は期待と祈るような気持ちでそれを見ていた。中身は青いのか赤いのか、はたまたゾンビとなっているのか、表からは判別できなかったけれど、それは赤いメロンだった。  スプーンで母がひとすくい食べると、 「甘い! 美味しいよ。ほら、食べてみて」と私と姉にも勧める。  ひとすくい口に入れたメロンの甘く濃厚な香りに包まれて「あ、」と思い出した。  冒頭に書いた「10,000円と1,000円のメロンの話」。私は長い年月を経てようやく1,000円のメロンでも10,000円のメロンでもない、値のついていない美味しいメロンに出会えた。  この思い出があればきっとこの先、もうあの料理番組の話を思い出すことはぐっと少なくなる。あまりにも衝撃的すぎたため全く記憶からなくならないのが悲しいが、思い出を上書きしてくれるほどの強烈な記憶となり、渡る世間に鬼はなしという言葉がふっと過ぎった瞬間だった。