aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

つらいのは私ではない


 午後には通常運営で明るい記事を書きます。 *午後には持ち直します  父方の伯父の具合がだいぶ悪いと聞き、伯母に事情を聞くとかなり悪い糖尿病と、予想によれば大腸がんなのでは? (あくまで予想)ということだった。でもお酒は辞めず、昨日も検査だったのに検査前の夜はお酒を飲んでいたらしい。  前だったら呆れたけどしれないけど、今は「怖いんだろうな」とすぐに分かった。  良くなりますように。どうか良くなりますように。そう思う一方で父と仲の良かった伯父が父に迎えにきて欲しいようにも見えている。実際はそんなことはないだろうに。  そしてその伯父の子供であるいとこも糖尿病で、父方も母方もがんが強く(ただ母方は超健康志向でお酒もほぼ飲まない)父方の祖父も母方の祖父母もがんで亡くなっていることからうちの家系は糖尿病とがんになりやすいんだなと改めて思い至った。  どうにかできるわけでも抵抗する手段があるわけでもないけど、できることなら伯父を励ましに飛んで行きたいところだけど、私にはできることが少なすぎる。  友達のご家族ががんの最終ステージになったけれど持ち直して元気に暮らしているらしい。うちの家系的に見ると、夢みたいで、おとぎ話みたいな話。きっと凄まじい努力と根性の結果なのだろうけれど。  中学生の頃から(出会ったのは小学生の頃)私のカウンセリングをしてくれている方がある日に突然倒れてつい最近まで入院していたと話を聞いた。「大丈夫なのかな?」と思いながら「でもけっこうしっかりされているよな」と喋っていたらうちの父が亡くなったことをすっぽり忘れていた。「離れて暮らしていらっしゃるの? それともお母様とは離婚されたの?」と聞かれたとき、父が亡くなったことを改めて話した。私自身の周りではとても父の死を悼んでくださった方だけに精神的にかなりきつくてなんでもなく振る舞う云のが精一杯だった。電話を切ったあと、涙が止まらなかった。  モラトリアムが終わろうとしているなかで私はまだどう生きたいのかわからずに毎日を過ごしている。  昨日まで見えていた景色と今日見る景色が違いすぎて、本当は変わってなんていないんだろうけど見える温度の高低差にどうして良いのかわからない。父がいた頃に見ていたものと今見えているものもきっと違うのだろう。  子どもの頃から怯えていた死の恐怖が隙間から覗いている。助けて欲しい、とも言えずにその隙間を凝視している。そんな感覚に陥る。