aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

私たちの手


 女三人寄れば姦しいと三人寄れば文殊の知恵が私たち家族の生きるキーワードです。うそです、今勝手に私が決めました。でも実際そういうことだと思うんですよね。  先日、インターフォンが文字通り音もなく壊れた。スピーカーは壊れていないけどチャイムの音が鳴らない。続いて、跳ね上げ式のカーゲートのスプリングも先日の大風で壊れた。母とネジを外すも非力ゆえなのか錆びついているからか、一つのネジのネジ頭がなめてしまい、ネジが外れない。それだけであとのモチベーションが駄々下がりして他のネジを取る気力も失せ、ただ体力を消耗して家のなかに逃げるように入る。  町の便利屋さん的なところに頼めないだろうかと探すもどこも時間労働制で、人件費と時間がかかるほど高くなる。母が「年寄りをいじめているのかしらね」とつぶやきを漏らしたけど私にとっても同じ意見だ。  父からマイナスの遺産を受け取る代わりに私たちはこの家を譲り受けたわけだけど老朽化で(私よりは若い家なのに)メンテorリフォームもしくはそのどちらもが必要で、私たちはこの家に住み続けられるのだろうかという不安がある。父はこの家をとうとう自分のものにはできなかったけど安全なうちにこの世を去ってしまって、どちらが良かったのだろうと考えても答えは出ないけど安全なうちに逝けるのはちょっと羨ましいな、と不謹慎にも思ってしまった。  週に一回か二回くらい、乾麺で夕食を凌ぐくらいには我が家は貧しい(単純に麺類好きだけども!)。それでも精神的には豊かに暮らせていると思う。それは父が植えてくれた果実が庭に実ったり、生前父が趣味としていた味噌造りや梅しごと、燻製などの食べることを楽しくする趣味が私たちのなかにも生きて、続いている。  父の生前の家のメンテをしなかったことが原因で苦しんでいるのに父の趣味が息づいて私たちは楽しく過ごせている。とても矛盾しているけどどちらもがあって、なんだか苦笑してしまう。  それでもこの家に住み続けられるのか、住み続けたいならどうすれば良いのかを決めるのはもう父ではなくて私たちの手に委ねられている。  そのことが父がこの世にいないことを思い知らさせるようで、体も心も重く感じる。