aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

時々書くおばちゃんのネット今昔的な


 こういう記事を年に一二度書いている気がする。 *守らなくてもいいと思うんだけど自分ルールのようなものです  私が未だにテキストサイトが流行った時代から守っているものがあります。今ではちょっと時代遅れなのかな、とも思うのですが。そして守るというほど大したものでもない。  二つの記事を書かないことにする、というものです。知っている方も多いと思いますが一応書いてみますと一つは時事問題というか政治関連のことですね。  今は昔ほど気にする人も減った気がします。というのも書く人が多いから相対的に気にする人も減ったのかなと思います。昔ほど一個人のブログに目くじらを立てるような人もいないのだと思いますが、それでも時事問題はデリケートなのでやっぱり書かないです。  もう一つは野球です。これも荒れる原因と言われてきました。野球は父が好きで見ていましたが、今はニュースで目にするくらいか高校野球で地元校が出ていたら見る、くらいの熱量しかない家族なので話題に出しませんし、私自身がひどい運動音痴であるがゆえにスポーツ全般に不案内なので話題にしたくてもできない側面もあります。  もう一つ、上二つとは別に昔から嫌がられる事柄がありました。でもそれはこのブログ内で言及してしまっています。なので実質守ることができていないのですがなるべく詳らかに書くのは避けているものがあります。  病気自慢です。病気自慢という言葉ができるくらい昔のネットでは忌み嫌われていましたし、恐らく今も「イラッ」とされる方も多いと思います。病気自慢と怪我自慢は発信者しか気持ちよくない、面白くない的な見方もありますし扱うのが難しい題材ですよね。よほど文章を書くのに長けていてイジられることも苦痛に感じない(もしくは苦痛を感じているように見せない)人じゃないと上手く書けないのではないかと。  私は文章がうまいわけでもイジられ慣れているわけでもなく、どちらもクリアしていない状態で書いているので読んでくださっているかたは病気記事を読むと微妙だろうなあと思いつつ書くことがしばしばあります。  ネットも昔ほど閉じたコミュニティでもなくなりましたし、それゆえの弊害もありますが全体的にネット人口が増えたことで時事について書く人も増加し、野球のことを荒らしを恐れずに書く人も増え、病気持ちの人が持病を隠さずに書く人も多くなった。本当に、単に人口が増えただけなんですよね。でもそれだけ思い思いのことをウェブ上に書く人が増えるということは、それまでの個人サイト全盛の頃の暗黙のルールを知らない人の増加でもあった。ルールを知っていた人も知らないまま書き込む人もごった煮状態になったのが今のインターネットな気がしている。昔のルールに戻れと言うつもりはないしそもそもそんなことを言っておいそれと昔のウェブのあり方に戻ることなどできないほどネット人口が多くなったし、「昔のほうがいい」という保守派の人もなかにはいて、それに対抗する若い勢力もとても大きなものになった。  昔の禁じ手が今はもう単なる話題の一つであり、禁じ手でもなんでもなくなった。  それが、おばちゃん的には開放的で嬉しくもあり、逆の禁じ手もできてしまってちょっと寂しくもある。 追記.付け加えておくとネット人口の増加は若者だけではなくてそれまでインターネットに触って来なかった層もスマホ、タブレットの普及、SNSの流行などで「やったことないけどやってみるか」でグっと増えたのだと思います。  御手洗直行先生も書いておられたけど昔の腐女子とオタク女子と男子は独学でタグを打てたんですよね。今はプライベートでタグを打つ機会のある人は昔の半分くらいにはなっているのではなかろうか。  その代わりにプログラミングの講習や授業があったりするのは時代というほかに言葉が見つからない。 追記2.読み返してもネットネットうるさくてすみません。リライトしてもどうしようもない場合は納豆を食べますのでそれで許してください。