aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

貧乏な家の子供


 だったので好き嫌いは殆どありませんでした。でもそれって父母がちゃんと味覚を育ててくれていたからでもあるんだよなあと感謝してもしきれないです。  漫画家の北条司先生の作品、ファミリーコンポの劇中で「思い出って物にも残るけどその人の体にも残っているんじゃないかしら(セリフうろ覚えです、すみません)」というセリフは全面的には肯定できない側面を持ちつつ、でも体に染み付いている思い出もたくさんあるなーと最近はとみに感じます。 *途中でチコちゃんに変えましたけど  一日の終わりの楽しみの編み物をしながらアメトーークを見ていました。実家が貧乏だったか子供時代が貧乏というトークテーマで、私もリアル子供時代貧乏だったこともあってほんのり楽しみに見たのですがうーん……疑いたいわけではないですがちょっと嘘くさいというか盛っている感じがありました。私の場合は物凄くドビンボーというほどではなかったのですが父が自由業だったものですからある時はあって、ない時はとことんないみたいな高低差の激しい子供時代だったんですよね。  そのなかでも粒選りの貧乏エピソードをご紹介しますね。 1.小学校低学年の頃は小腹が空くと爪楊枝を食べていました。食べるものがなくて。母も父も信じてくれなかったのですがガチです。美味しいわけがなくて(だって楊枝だもの)半分くらいまで食べて飽きるんですけど誰にも咎められなかったので食べていました。 2.お菓子を買ってもらう時は「お姉ちゃんと半分こするから」。なんでもかんでもお菓子は姉と半分こでした。ポッキーもトッポもパイの実もその他諸々も。ポッキーとかトッポとかだと二袋を半分こ、と想像されるかもしれませんが一袋の中身を半分こしていました。数が余ると戦争が起きるので一本だけ残ってしまった時は母か父に食べてもらって戦争を回避していましたよ。 3.アメトーークでみやぞんさんが仰っていたお弁当の1段目がトマトの輪切りで2段目が白米というエピソードで思い出したのですが私は小学三年生くらいの頃物凄く飢えた子供でして、ちょうど冷蔵庫を物色することを覚え始めた時期でもあって、でも料理はまだそんなにできない。そんな時の味方はトマトでした。お腹が空くたびにトマトを食べていました。あと拙い料理で具の少ない炒飯。 4.父が電気代を気にして(たぶん前月の請求書が高かったのだと思う)「今日は電気(電灯)はなしだ!」と夕食時に言い出して豆電球しか点いていない状況で夕ご飯を食べたこともありました。 5.クリスマスのプレゼントは羽振りが良くて「これすっっっっごく欲しかったの! 嬉しい!!」という時と稼げなくて「全然欲しくないのもらったんだけど」という時の、ここでも二極化が起きていました。  でも毎年サンタさん来てくれていたので恵まれていたなーと思います。  子供の頃サンタさんの正体が知りたくて「サンタさん、いるなら○をかいてください」という手紙を枕元に置いておいて、でもサンタさんは海外からきているということだったのでそういう系の手紙は何回書いても返事がこなかったのはブレなかったな、といまにして思います。 6.母がゲーム絶対反対人間だったのでSFCを買ってもらったときは「ソフトは自分たちで買いなさい」と言われていて当時SFCのソフトは8,000円~12,000円ほど。なのでうちにあるSFCのゲームソフトは選びに選んだ少数精鋭でした。  ほかにも思い出そうとするといろいろあったと思いますがぱっと思い浮かぶのはこの六つです。  こういう子供時代を過ごしたのでおいしいブドウの価格設定に戸惑うよ。