aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

新居昭乃さんの音楽


 記憶が古すぎて思い出すのが大変でした。  どこか間違えている箇所があると思います(直さない人)。 *新居昭乃さんについて  書く場所がなくなってしまったのでここに書くね。  新居昭乃さんの音楽に出会ったのは'94年頃。Macross Plusのシャロン・アップルの歌唱としてでした。それからしばらく経って'97年頃。いや'98年だったかな。今は懐かしのヴァーチャルアドベンチャーという三重野瞳さんがメインパーソナリティー(アシスタントは石田彰さんでした)のラジオ番組があって市東亮子先生のBUD BOYのラジオ番組があったり(MCは今では考えられないですが関俊彦さんと子安さんでした)、坂本真綾さんの番組があったり、宮村優子さんのときもありました。大体三重野瞳さんの持ち時間が30分でほかのかたは15分ずつ、というローテーションだったと思います。  そのなかの新居昭乃さんの今でも続くビリジアンハウスという名称の15分の番組を偶然聞いたのでした。その頃、昭乃さんの「空の森」と「そらの庭」の発売を間近に控えていて、ラジオでも大々的に曲を流していました。  初めて聞いたのはLicao do Ventoでした。でも正確には初めてではなく、曲のインストバージョンを小学校一年生の頃に聞いていました。姉が風の大陸が好きで映画のサントラを持っていたのです。  「あの曲、聞いたことがある……。アライアキノさんという人も知っている気がする」と思いながら中学校に登校し、帰宅する頃に風の大陸のサントラのことと昭乃さんがマクロス・プラスで歌唱を担当されていたことを思い出したのです。  それから毎週、ラジオを録音して姉とお風呂で聞いたり歌ったりしていました。まだ子どもだったからお小遣いをやりくりしてアルバムを一枚だって買うのも大変だったのです。なので私が初めて手に取った昭乃さんのCDは月の家でした。  月の家も好きでしたが昭乃さんがラジオでお気に入りと仰っていた「黒い種」の世界に嵌って何度も何度も聞きました。  そんなときです。'98年の渋谷オンエア・イースト(まだ渋谷OAではなかった)5月9日の回だったかな。昭乃さんの「月の家ツアー」に行けることになったの。父に拝み倒してぴあでチケットを買ってもらったんですよね。席は全部埋まっていたので立ち見でした。  渋谷まで父が車を出してくれて姉と一緒に見ました。昭乃さんは小花柄のブラウスかなにかを着ていて、下は黒のサブリナパンツをはいて椅子に座ったりしながら歌われていたと思います。  そのときに聞いた「妖精の死」が忘れられなくて翌年の誕生日プレゼントに母に懇願して空の森とそらの庭を買ってもらって、妖精の死だけはアルバムで聞いても「あのライブの曲!!」とすぐにわかりました。  ツアーと言っても'98年の5月9日、10日のオンエアイーストと16日(だったと思う)大阪バナナホールの3公演のみでした。そう、次回のリトルピアノツアーに大阪バナナホールが含まれていて、唐突に思い出したのでした。 *懐古厨の繰り言  昭乃さんは今「幻想系の始祖」と呼ばれることもあるそうですが「空の森」以降ずっとアルバムを聴き続けているものとしてはちょっと違和感があるんですよね。  昔はロードス島戦記、ダイの大冒険、風の大陸、ぼくの地球を守ってなど幻想的な作品に楽曲提供されていたこともあってわかるし、「そらの庭」も幻想的な曲やメルヘンな曲が多かったです。  でもサードアルバムの「降るプラチナ」からはご本人の仰っていたいたように明確に感じる幻想的ではなくて日常と非日常の合間の音楽というか大きなくくりでは幻想的なのかもしれませんが「月の家ツアー」のMCで作りたいと言っていた「ドラキュラのような歌」や「ラプンツェルのような歌」、あるいは影響を受けたという坂口安吾の「桜の森の満開の下」のようにド級な幻想寄りとは違った角度ですよね。  エデンも幻想的でありながら現実と非日常のあいだの「ありそうでない世界」のように思いましたし。  単に幻想的の捉え方が違うだけなのかもしれないですが幻想系の始祖というと国外だとケイト・ブッシュ、国内だとZABADAKや姫神かなーと個人的に思います。昭乃さんの音楽が否定したわけではなくて、むしろストライクゾーンど真ん中なんですが降るプラチナ以降は幻想の捉え方がステレオタイプな幻想の抱き方ではなくなったような気がしていました。  曲そのものはファンタジーではないけどアルバム全体を通すと幻想に近いものは感じる気がする。  何度も書いてしまうけど花のかたちは作品のバックボーンを知ると愛おしくなります。