aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

おたくという二人称も懐かしい


 リョウはおたくという二人称をよく使っていましたよね。最近はあまり見ないけど地域が違えば使っている地域もあるのかな。 *キャッツアイも読みたい  シティーハンター、劇場版がロードショーされるし東京MX2でアニメ無印が放映されているし漫画読むかーと思って10年ぶりくらいに原作を読んでいます。最初のほうだけどやっぱり面白い。もっこりが出てきたのは二話目からだったんですね。気がつかなかったです。  アニメのC・HはAパートBパートギチギチに詰めているから最初から最後まで内容がスピーディーですね。昔はこんな展開が早いとは思わなかったけど近年のアニメではアバンやCパートがあるからそう感じるんだろうなー。  テレビスペシャルのC・Hは二時間だけあって作り込みが丁寧でしたよね。その分アニメオリジナルキャラクターの設定は甘かったようにも感じられて残念でした。映画は見に行きたいなーと思っています。FateのHFも。 *FFVIの良さがわかってきたのは最近ですが  昨日、いつものごとく姉とFF談義に花を咲かせていたのですがFFVIってちょっと大人向きだよね? という話をしていました。  世界崩壊前は仲間が集まりましたよ、じゃあ魔大陸に行きましょう、という流れですけど世界崩壊後ってキャラクターの弱い部分だったりトラウマやコンプレックスといった内情が描かれていて、セリスでいえば常勝将軍と呼ばれた彼女も一人の女の子としてえがかれていて将軍でもなくなり、敵のレベルがちょっと強めに設定されているせいか「セリスってこんな弱かったっけ」てなりますよね。  ですがそれもあって最初に仲間になるマッシュの存在が心強くいんですよね(実際強い)。  でもティナは内にこもってしまっていたりとか、ストラゴスは狂信者の塔で宗教に傾倒しているのがショックでした。このストラゴスのイベントとガウのイベントがキツかったです。ロックのイベントも大人になるまでいまいちよく分からなかったなー。救いがあるイベントはセッツァーとカイエンでしょうか。カイエンのイベントはよかったです。悲しいけど救いがある。セッツァーも痛みを飲み込んでその先に救いがありました。だからこそ今思うガウのイベントの苦しさ。ガウに優しいイベントがあるともっとよかった。  FFVIの話は尽きないのですがまた書くとき用にとっておこうと思います(そして忘れるパターン)。