aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

すべてが、


 水面下で動いているので私からはなにも言えないのです。日々グルメ漫画に思いを馳せるしかないんです。 *良い思い出だけではないけれど  父のことを思い出す。というか思い出さない日なんてないんだけどいなくなって(諸事情でこの表現です、すみません)諸々の手続きや宿題が終わって一安心、みたいな感じになってそういう日常の隙間から寂しいとか悲しいとかそういう思い出がやってくるのです。  父という人は「老後に一人で死にたくない。だから結婚して子どもをもうける」という理念で結婚した人で、私が幼い頃は母との喧嘩が絶えなかったけれど年を取って二人とも丸くなって晩年は本当に仲の良い夫婦でした。  そして父は「一人で死にたくないから結婚した」通りに、老後というには早すぎたけれども母と姉と私に看取られ、決して寂しい往き方ではなかったと思いたい。  父という人はそういう星の元に生まれたのでしょう、常にお金に困窮していてお金には縁のない人生だったけれど人にはとても愛された人生だったのではないかと思うのです。  そして父がいなくなって思うのは私は顔は母に似ているけれども中身はさっぱり母に似ていなくて悲しいくらい父に似ている。とてもくよくよしやすく、傷ついたことを隠しておけない。そして私もお金に縁がない。更に悲しいのは私は父のように人に愛されるキャラクターではなくてコミュ障のぼっちであることを付け加えなくてはならない。  願わくば、父のように話し好きな人の目に留まって、私がこの世を去ってからも誰かの語りぐさになることができたら嬉しい。そうなるまでにどのくらいの年月が必要なのか、嫌になってしまうけど。  私が自分に絶望しない手段は食べることと家族を大切に思うこと。人を恋愛的な意味で好きになることが苦手だから恋愛は無理ゲーなので趣味と家族への依存で成り立っています。成り立っていないとも言います。  私の食べ物への執着は飢餓感に似ているので自分でも大丈夫かと思う。  自分大好きなくせに自己肯定も下手なので生きるのキツい。生きることに対してへっぴり腰です。三十云年生きているのにね。  父も、お父さんもこんな風に悩んでいたかしら、と思いながら最近は入り込んでくる恐怖感を伴う思い出ではなくて、楽しかった思い出や面白かった思い出を探しています。いないとすぐに風化して思い出せなくなってしまうから。こういうとき、人の会話、もしくは対話って必要だなと思います。口に出して話していないと脳には定着しない。  明日からまた普通に戻ると思うけど今日はごめんなさいでした。