aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

もののけ姫が観たいような


生きろ、そなたは美しい。というセリフが聞きたくて。生きていることはそれだけで美しいことなのではないか? とも思って。そしたら考察サイトとか見たら解釈は違ってたっぽい。でも観たいな。 *美しさに垣根はないのだなー  ゴッホは日本の夢を見たという番組を母に頼まれて録画していたのをやっと家族で見ました。ローヌ川の星月夜はため息が出るほど美しいですね。心がきれいになるような感じがします。もっと美しい表現がしたいけどできないグヌヌ。  番組内で使われていた曲がColdplay? ぽかった。自分の持っているのでざっと探した感じ、Speed Of Soundのような。違うかな? 知っているかたがいらっしゃったら教えてください。そんなわけでXYを聞いています。VIVA LA VIDAよりXYのほうが好みかもしれない。VIVA LA VIDAも好きなんだけど宗教色がちょっと強い気がする。 *バンパクバンパクバンパクバク……(保健室の太陽の塔な感じで)  美しさに垣根はないと書いたけれども美しく感じる心には垣根はあるかも。国によって色気を感じる色が違ったりするように。自分の国ではグロテスクなものがその国にとっての美しさであったり。  全然関係ないけど岡本太郎さんの「芸術はきれいであってはいけない」という言葉を心でなぞると、そうなる自分の精神構造はよくわからないのだけどもとても安心する。反して芸術はきれいであってほしいという感情もある。 *心が泣く  先日、小学生の頃からお世話になっている方と電話でお話をした。その方は旦那様を十年以上前に亡くされていて娘さんと私が似たような状態で、というような話をして。  「私は良いのよ、主人と出会って結婚できたから。でも娘もあなたももういない父親の姿を追って生きるでしょう。それがつらくて」と涙ながらに言ってくださり、涙が止まらなかった。  父がいないというのはとても大きい。雨が降ったり風が吹けば不安になる。父がいたときは風が吹いたくらいなんともなかったのに今は風が吹くだけで不安になる。  「お父さんの存在はやっぱり大きかったよ。必要ないなんてこと、全然なかったよ」と父に言いたいのにいないなんて。でも言ったら言ったで「ふふん。そうだろう」としたり顔で言われそうで、実際私はそう言ってしたり顔をしてもらいたいのだろう。  いつもは感情に蓋をしているから泣いたりしないけれどその蓋はとても薄く軽い素材なのですぐに感情に押し出されるように開いて、涙を溢れさせてしまう。まだずっと、私は悲しいままだ。  追記.岡本太郎さんの芸術の表現を本来の言葉に変更しました。読みづらくてすみません。