aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

そういえばの話(4)


*そういえばの話その6

 うちは貧乏である、という話は何度もしたかもしれない。父が貧乏だということも、私がその貧乏を受け継いでいるという話も。
 でもこんな話はあまりしなかったかもしれない。
 Twitterのタイムラインを追っていると、自分に関連づけた広告をオフにしているのに好きなメーカーさんのスキンケア商品のセール情報が出てきて驚くことがある。でもそれはまだ分かる。同じタブレットでそういった商品を検索したりしているから。見透かされているようであまり良い気分にはならないけれど。
 それよりなにより驚いたのがテレビで国境なき医師団を見て興味が湧いて、全く調べていないのに広告として出てきたときはさすがに心臓にくるものがあった。恐らくいとうせいこうさんをフォローしているからとか、あるいは全くの偶然なのだろうけど妙にシンクロニシティを感じてしまうのは父が存命だった頃に国境なき医師団に寄付をしていたかな(父亡き後に判明しました)。ほかにもユニセフに寄付をしていたりして姉がそのことを父に訊いたら「今はもう(貧しいから)できないけどな」と言っていたこと。
 幼い時分から自分だけが良い思いをすることを厭う人ではあったけど、そこまでだったのか、と今更ながらに驚かされる。
 私も自分だけが良い思いをするのはあまり好かない(楽しくない)ほうではあるけれど、父ほど世界への愛は博くない。せいぜい身近な人と笑い合って過ごしたい、とかそのくらいだ。もう少し範囲を広げても好きな作家さんをアピールするために出版社を通してファンレターを出すとか、でもそれも回り回って自分が楽しく読書をしたいという欲深さがある。
 博愛というのはなんと難しいことだろう。


*そういえばの話その7

 父の話で思い出した。世の男性は大体が浮気をする生き物であり、一人の女性だけを一途に愛する男性はレアケースである、という話を聞いたのも大変な愛妻家だった父が亡くなったあとだった。
 大変な愛妻家、という言葉に間違いはない。なにせ周りも大変だったのだから。
 父愛妻家ゆえの事件というのは小さいものも含めると思い出せないほどになってしまうのだけども、殊に印象に残っているものが二つある。一つは人伝てに聞いたもので、一つは実体験のもの。
 人伝てのほうはいとこのお姉さんから聞かされたもので、いとこのお姉さんは幼い頃から可愛がってくれた父に憧れか、憧れ以上の感情があったのだと思う。父からもとにかく可愛がった、と何度も聞いた。
 実際おねえさんはとても構われていたらしい。それが、後の母と見合いをして以降口から飛び出るのは母の名前ばかりで、いとこのお姉さんは殺意を覚えたという、なにかが一個ずれていたら刃傷沙汰になっていそうな事件の話。
 もう一つは母の仕事が多忙を極めていた時期。父の話を聞く時間がなくなってしまったときに運悪くかかってきた母への仕事先からの電話に嫉妬をした父が、電話線を抜いてしまって当時全然電化製品のことが分からなかった母が忙しさと父の嫉妬に困って泣いてしまった、という逸話。こちらは殺意の波動が父にあり、私は階下に降りようとしてあまりの空気感のため姉に止められたことを今も新鮮な驚きで以て覚えている。
 父は母でないとだめだった、一日だって保たなかったとお酒を飲んでべろべろに酔っ払うたびに言っていた。
 老後らしい老後もなく、短い人生ではあったけれどそんな母に看取られて逝ったのできっと幸せだったのではないかと思う。


*そういえばの話を補足

 父は怒りの沸点はめちゃくちゃ低かった(私も人のこと言えない)けど、優しい人でしたよ。
 父と関わりのあった方々が偲ぶ会を開いてくださるくらいには人望も厚かった。昭和にありがちなセクハラおじさんだったけど、家族を大切にしてくれていました。
 もっと父の笑顔が見たい人生だったな、と時々思います。そして亡くなって今年で4年が経ちましたが忘れた日は一日としてないです。
 わんこも今年旅立ちましたが、死の瞬間を思い出すとじんわりと泣けてきますわね。いまだに写真をよく見返します。


 今年最後の日まで「そういえばの話」にお付き合いいただきありがとうございました。

 来年も当ブログをよろしくお願いいたします。
 それではまた見にきてくださいませ。