aoi iro no tori

だんだん離れてゆくよ アルペジオのように トリルでさようなら 別れを惜しむように ──日常のおはなし──

影響を受けたもの・人いろいろ

私自身は発明家タイプではなくて人生の意味を考える哲学者みたいなタイプとかよく見ます。哲学者タイプという言葉の裏側にはどんな暗喩があるのか? と考えてしまうので当たっているのかもしれないし全く見当外れなのかもしれない。 合っていようといまいと面白いので診断系はやってしまいがちです。今までで面白かった(接待的な意味で)のは10星フォーチュン占いのキャンドル星人でした。ヒーラー気質で火が消えるように燃え尽きてしまいそうなんておだててくれますねー。合っているのかなんて実際には分からないしバーナム効果盛り盛りに楽しめてしまっているように思います。

※ また長話です。お暇潰しになれば幸いです。しばらくはこんなに長い記事は書かないと(書けないと)思います。

*能力を活かせる場所を見つけられるのも才能なのかもしれない 三日ぶりでした。いやでも前回記事を書いたのは四日前だから四日ぶりなのか? それとも五日前も記事を書かなかったから実質六日ぶりなのか。悩むところですが前回の記事に興味を持ってくださったかたにお礼を申し上げます。 先日友人に「燻製やったり糸を織ったり、ものを作るのが好きだね」 という言葉をかけてもらい、嬉しかったのですがそれでも私はものを作るのが好きとは言っても、発明家のタイプではないんですよね。うちの発明家タイプは姉です。 無から有を生み出すというのとはまた違うかもしれませんが、研究熱心というのか根っからのゲーマー気質で「〇〇に必要なのは○個だから最小限で済むところで素材を集めよう、そのために一番多く手に入って、コストが一番少ない数で済むのは××の場所」と物凄く研究するので、好きなゲームにどっぷり嵌ると抜け出せないんですよね。あの集中力は見習いたいです。 そのような集中力と粘り気が発揮されるのがゲームという場でなかったらきっと発明家なんだろうな、と思います。能力の無駄遣い……のように思うけど自分の持っている能力を100%活かしきることができる環境に誰もが立てるわけではないから本人が良かったらいいのでしょうね。傍で見ているともったいない気もするけど人のことを言える立場でもないもんな。

*なんでこの話の流れになったんだっけ

その代わりに本を読む、ということはとても好きです。漫画や小説はもちろんですが、病気になるまではかなりの乱読型だったので今もその気になったら(暇を持て余したら)なんでも読むと思います。文字を追うだけで幸せみたいな感じです。 幼少期は文章を読むのがだるくて小説が読めない子どもでした。ザ・スニーカーや富士見ファンタジアの全盛期(今もだったらすみません)だったのに、ジュニア文庫も児童文学もまったくだめで、唯一が自分の書いた小説を自分で読むくらいしかできなかったです。それ以外は漫画ばっかりでした。 それが変わったのは先日の音楽の話にも出てきた風の大陸の小説(ジュニア文庫)を小学校6年生の頃に買って読み始めた時期からでしょうか(あれってどうやって終わったんだろう)。 中学生になって商業BL小説を読み漁るようになって、でも一方では講談社のアフタヌーン(青年誌)を読んだり、かと思うと集英社の別冊マーガレット(少女漫画)を読んだり、15歳を過ぎた頃には河出書房のコーナーの本を買う常連みたいになって澁澤龍彦の著作を読んだり、もう少し上になると北原白秋や室生犀星を嗜んだりするようになって、全く興味がなかった分野で読んでいたものだと母の愛読書の花の図鑑とかですね。当時は興味の範疇外でしたが、現在は植物が好きで興味もあるので読んでいて全く無駄だったということもない気がします。 ただ一つ残念なことに内容の記憶が、ほとんどない。

*吸収させていただいた音楽や映画など

中学生の頃は若かったこともあって今より知識というかそういうものに貪欲で「なんでも良いものを吸収してやる」と思っていました。幼年期は面倒くさくて中学生以降は嫌な感じの子どもだったなー。 その頃に聴いていた音楽は新居昭乃さん、ZABADAK──Pieces Of The Moonを一枚やっと購入して上野洋子さんという存在を知りました。正しく書くと上野洋子さんは知っていたのですがZABADAKに在籍していたことを知りませんでした──、世界の民族音楽というラジオ番組、光田康典さん(クロノ・クロスのサントラ)、ペルソナ2罪のサントラ(土屋憲一さん、青木秀仁さんなど)、BUCK-TICK、GUNIW TOOLS、ハミング・バード、ジョン・ダウランドのリュート曲に出会ったのもこの頃だったのかな。 洋楽だとビートルズ、Radiohead、U2、Gentle People、ケイト・ブッシュ辺りです。RadioheadはちょうどKid Aが出た頃だったような気がする。 十代後半にDandy Warhols、MOBY、NirvanaとかThe White Stripesなど、十代の頃は色々聴きすぎて書きこぼしているアーティストさんもいると思います。 好きだった映画はケイゾクの完結編的なやつ(終わっていない気もする)と千と千尋の神隠しでしょうか。ケイゾクは地元の映画館で二回見て、その日の最終の回(当時はレイトショーとかなかったように思う。少なくとも田舎の地元では)を見たあと出口がいつもの出入り口と違っていて夜の町をさまよい歩いて物凄く怖かった記憶があります。それでも今思いだすと駅の周辺をぐるぐる回っていただけだと思うんですけど夜というのが怖さのスパイスでした。そんなとっぷり夜というわけではなかったはずなんですが、そのとき確か冬で日が暮れるのが早かったんですよね。 千と千尋の神隠しは当時父が築地で働いていたので銀座のマリオンまで行って二回くらい観ました。もうそんなことはできないしマリオンも映画館じゃなくなってしまいましたよね。千と千尋がすごく好きになって「なんでこれを観ている私は10歳じゃないんだ!」とか思って。宮崎駿さんが10歳くらいの子どもに向けて作った、というようなコメントをされていたんですよね。 そして年月が経って今は付き合いくらいでしか映画館にも行かないという。あの頃の行動力はどこに置いてきたんだろう。 あとはなんだろう、幼い頃は家にあったVHDというアナログディスクの機械でシンデレラが好きというか、何度も書いているのですがシンデレラの物語そのものはちゃんと理解していなくてかぼちゃをくり抜いて馬車を作るシーンが大好きで何度も見ていました。主演の女優さんがフラッシュダンスの主演のかただったのですが母に「ビデオあるよ」って言われて観てみたらけっこう過激なシーンがあって「これは大人のみるものだ!」と思った記憶があります。 そのシリーズのおやゆび姫も映像が衝撃的で、ツバメもカエルも全員人間にそれっぽいものをかぶせて厚い化粧をしただけなので、恐らく当時の技術と予算と作り手の美学(これが一番大きい気がする)で、全部包んでしまうような着ぐるみでも当時の技術的にもCGでもなくてちょっと前衛的な感じがひたすら怖くて泣きながら見ていました。でも心が惹かれて見てしまうという。VHDのビデオはごく幼い頃にみたものですが、あの美学は今も深く私のなかに根付いている気がします。 おうち映画だと三日前も書いたサウンド・オブ・ミュージックや何度も書いているBTTFなども好きで現在も見ます。子どもの頃好きだったけど怖かったのはハチ公物語(上野教授が倒れるシーンで泣いてしまって先が見られない。なぜかハチ視点)、チキ・チキ・バン・バンもなぜだったか途中で怖くなって泣き出してみられませんでした。メリー・ポピンズも好きでしたがかなりの長尺のためいつも途中で飽きていたような気がします。昨年、改めて見て「こういう物語だったのか」と知りました。 E.T.も怖くてみられなかったです。ジャケットが怖かった。いい映画なのにね。羊たちの沈黙は姉が好きで見ていたのを横で見ていました。それとかドラマ版のITもトラウマの一つですが結局2016年くらいにフォビア的に怖かったのがフィリア的に好きになり、それが極まって二回レンタルで見て、BDを買いました。

*厨二女子に脂が乗っていた時は麒麟という漢字も書けたなあ

姉から受けた影響というのも子ども時代に大きくて、姉は怖いものや不思議なものが大好きな子どもでして、呪いについての本とか心霊的な本とかを買うんです。私はそれが怖くて怖くて仕方ない。怖くて仕方ないくせに変なところで好奇心が旺盛なので姉の話を聴いたり見たりしてしまって怖くて怖くて「おかーさーん」と泣きつくまでがワンセットでした。 私の置かれた状況も少し特殊だったのだと思いますが子どもの頃の私は今の私に2万倍くらいの輪をかけて怖がりでした。未知のもの触れるものすべてが怖くて仕方がなかったです。 今は昔ほど心霊的なものが怖くなくなったのもあって(全くではないので単に加齢で感性が鈍くなったのだと思います)姉と一緒に見ますね。でも怖い話などは中学生の頃に出会った小野不由美先生とか京極夏彦先生とか、「ありそうだけどないリアル、でも怖い」方面に自分自身がシフトしてしまった感があります。それとか、父がカメラマンという仕事をしていたのでスナップを含めて写真に触れる機会は多かったのに心霊写真には一度も遭遇したことがない、とかそういうのもありましたし、写真の時代がデジカメに移行してからは心霊写真を特集する番組自体がぐっと減ったことも大きな要因に思います。赤く体を覆うように光っている写真は亡くなった友人(または前世の友人)が守ってくれている、みたいな写真は優しい気持ちになることができて好きでした。 姉が子どもの頃好きだった分野としては宇宙とか(これも怖かった。今も畏怖みたいな気持ちはある)、オーパーツとか、そういうものはいま逆に前のめりですね。昔はクリスタルスカルの写真が怖くて仕方なかったですけど。 興味があって熱心に教えられたけどついぞ覚えなかったのは黄道十二宮(星座)などでしょうか。ゾディアックという言い方も格好良いですよね(厨二的に)。なんの星座がいつなのかというのは家族のくらいしか覚えていないんですけども。 神話なんかも姉の影響で好きで調べていました。ローマ神話とギリシャ神話の共通点の話をしたりとか、中学生になると図書館で悪魔の辞典を借りてきて書き写したり、マヤ神話の本を借りたり。でもほとんどザルで濾した水みたいに抜けてしまっていますけど。 英語を覚え始めると英和辞典を首っ引きで調べたり、数多の厨二女子がそうであったように国語辞典をなめるように読んで「物語に活かせるかも!」ってルーズリーフがボロボロになるまで書き込んだりもしました。 調べ物が好きだったりするという性質はネットをやるようになってもっとひどくなりました。なんでも調べてしまう。悪くはないのでしょうけどもこちらは前にも増して細かいことを気にしすぎるようになった気がします。

*尺山寸水ってやつです

言葉の間違いをいちいち気にしないほどの度量の深さを持ちたいです。日本語を極めるのも良いのかもしれませんが、自分はともかく人にまで完璧を求めすぎないようになりたい。 英語を喋るの下手ですみません、と英語圏の人に謝ると「私の喋る日本語ほどひどくないよ」というほっこりするみたいなエピソードがあるじゃないですか。すごい会話だなー、と常々思います。第二言語を持っていて、ほかの言語圏の人の英語を慰めることができるって。 かと思うとイングランドの人は米語が嫌いとか、オーストラリアの英語は少しざっくりめと習った記憶があります。 英語は喋るのも書くのも苦手です。だめじゃんね。 何度か書いた気がしますがアメリカのお店の人とメールでやり取りをして担当スタッフさんに「あなたの英語が心配だわ(要約)」と書かれてしまったほどです。読むのはなんとか、本当にちょこっとだけ。書くのは定期的に英語圏の人とやりとりをしないと忘れていきますね。 *予告にもならない予告 次回は最近購入したCDの感想か、昭乃さんの福袋の内訳になる予定です。平々凡々です。